横浜

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横浜美術館は改装中。美術館前の霧状の水が噴き出る広場では子供たちが走り回っていました。暖かい日。ロックバンド、ザ・スミスが解散した1987年の日(正確には解散の翌日?)のアメリカはデンバーの町のスミス大好き青少年・少女(少数派)の一日を描いた青春映画「ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド」を見る。収容人数55人の小さな劇場に客は5人だった。1980年代後半、ザ・スミスの音楽をリアルタイムではまったく聴かなかったな。その頃はJPOPが歌謡曲から全く違う作風に変わりつつあって面白かったのと、フュージョンというジャズの分野が大流行していて、洋楽のロックバンドをリアルタイムで追っかけたりすることはしなくなっていた・・・んじゃないだろうか。でももし当時、意識的にザ・スミスを聴いていたとしても、そんなに好きにはならなかった気がする。それまでのロック(映画ではそれまでのロックがスミスファンからは対抗軸に置かれた低俗で「われらの音楽」ではないという位置づけだったかも)よりなんだか湿っぽくて、すなわち歌謡曲→JPOPという流れの反対向きな感じのウェットな感じ・・・というそういう印象も、最近になってザ・スミスを聴いて思ったことだから、当時の自分にそれがどう聴こえたかはまったく不明ですね。ま、私は土臭いカントリーっぽいロックや、西海岸のSSWという人たちの軽く乾いた音楽が好きだったから、なにを聴こうがその分類に属さないものは「湿っぽく」聴こえるのかもしれない。

入れ込んでいたロックバンドの曲、その曲が人生のすべてで自分の代弁者で、それがあるがゆえに日々を生きていける・・・そんな風にある年齢において音楽に身を委ねるような気分になるのも、若者の良くも悪くも「らしさ」だろう。だから映画で起きるちょっとだけ警察沙汰になる感じの事件(実際には被害者相当の男が加害者と意気投合してしまうが)を共感を持って受け入れることが出来るのは、そういう気分を知っている(つもり)だからだろうか。

若者たちが明日への不安を感じながらも、一夜、乱痴気騒ぎのパーティを催す。その場面を見ていると、もう何十年も観ていないけれど「アメリカン・グラフィティ」って映画を思い出した。上記「事件」を起こすレコードやの店員が、冷静で聡明な感じで良かったです。彼の役どころの性格設定なんかが、すなわちザ・スミスなんだろう。

それから夕暮れに向かう横浜の町を、伊勢佐木町や野毛という昭和な感じの町を、気の向くままに歩いた。雑踏の中にいて、だから安心な私はひとりぼっちで、そのひとりぼっちの寂しさを噛みしめる感じは、結局、いつまでもこういう町の中に居続けたいと思わせるのだった。

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