私的な記憶の作り方

 神奈川県中郡大磯町の漁港および砂を運ぶ船の船着き場の付近には休日を釣りをして過ごす人たちが集まっている。それが、見ている限り、のんびりと、釣果を上げることに夢中になるわけでもなく、月曜からの仕事に備え、金曜までのストレスを忘れるために、ここに来ている方が多いように見える。風を受けてわずかに波立つ海面はトロリとして見えて、飽きないものだ。

 高校生の頃に、TULIPというバンド(財津和夫さんがリーダーのバンド)が「心の旅」をヒットさせた。あの頃は「歌謡曲と演歌」vs「フォークやロック」という感じで、ラジオやテレビのベスト10番組に、ヒットしても尻尾を振って言いなりになって番組に出演するのではなくて、出るならカットなしで全コーラス歌わせろ、とか、テレビには出ないことに決めている、なんていう反体制な感じの若いミュージシャンが、自分たちの曲は自分で作詞作曲するといういままでにない音楽の作り方で現れ始めた頃で、そういう新しい人たちを、当時高校生だった私たちは圧倒的多数で支持していた。ま、いま聴くと彼らの作っていた曲も、なんだか昭和歌謡の亜流に過ぎないように聴こえる場合も多いけれど。今よりはるかに大きな世代間ギャップというものがあったんじゃないだろうか。

 それで、これもこのブログにもときどき同じようなことを書くけれど、この大磯の港、当時はいまとはちょっと違ってこの右側の船着き場はまだなかったような気もしますが、大磯の港の写真を見ていたら、高校一年だったかな二年かも、同級生三人か四人でこのあたりに遊びに来て・・・というのはたぶん自転車で来たんだろうな・・・この大磯港で『TULIPが「心の旅」のあとのシングルレコードの「夏色の思い出」「銀の指輪」が、そこそこしか売れていないようで「心の旅」に続いてヒット連発とは行ってなくて、それがなんだか心配だ』と思ったことがあったのを覚えているのですね。これっていわゆる「推し」の心境だったのか、でもそんなに彼らに夢中になっていたわけでもなかったのだが。もしかしたら一緒にいた仲間のうち、すでに洋楽なんかも聴いていたS君が、二番煎じの同じような曲ばかりだ、とか、巡回コードの単純な曲でつまらない、などと言ったのがきっかけで、そんなことを思ったのだろうか。そのあと、あの名曲「青春の影」が出てくるわけだけれど。

 そんなわけで、きわめて個人的な心の動きとして、私は、大磯港という場所に行くと、TULIPの曲を思い出す。こんな繋がりは、ホントとても個人的な偶然による結びつきで、そしてその中身はけっこうどうでもいいようなことだ。第一ベストテンに一喜一憂していたなんて、それだけで子供だ。そんなどうでもいいことが記憶にずーっと残っていることがあるものだ。人間って面白いなあ、記憶って面白いなあ、と思うわけです。