昨日葉山の美術館で見たアレックス・ソス展の最初のコーナー、SLEEPING BY THE MISSISSIPPIの展示作品のなかにBonnie(with a photograph of an Angel),Port Gibson,Mississippiという写真があった。そこには年配女性ボニーが額に入れられた写真を持って写ってる。持っている写真は縦長で、下の方に秋の?葉が茶色に色づいた木が写っていて、あとは青空と白い雲が写っている。その白い雲のうちの一つが、見立てると「天使」に見えるようだった。訪ねて来た写真家ソスとコミュニケーションを取っているうちに、
「ちょっと天使に見えるお気に入りの雲の写真があるのよ、見る?プロに見せるなんて、ねぇ、恥ずかしい限りなんだけど、どう?ね、見えるでしょ天使・・・ふふふ」
なんていうあっけらかんとした会話があったのか、それとももっと真剣に
「この雲こそ天使よ、絶対天使が来ていたの。天使が雲に形を託して来てくれたのね。それから私の人生がちょっと上向きになったのよ」
というように信ずる度合いがより深いのかも。
ミシシッピには天使の写真を持っている人がいる・・・だけど雲に天使を見つけるのは四葉のクローバー探しのようであって、きっと世界中に自分だけが見た(雲の)天使がいて、何枚かは写真に撮られているんだろう。そう思うと、たまにいて、どこにでもいるそういう人が、ここにもいて、そういう気持ちは信心でもある、とポジティブに写真家は言いたかったから撮ったのかもしれない。世界中から「天使に見えた雲写真」を集めたらどれくらい集まるだろうか。
そんな写真を観たせいなのか、あるいは昨日はずいぶん風が強くて、上空の空気の層の入り組みも不安定に動いていたということか、昨日はちょっと気になる雲が多かった。
上の写真は、昨日の午後3時頃だろうか、茅ケ崎の空です。雲っていうのは一体どういう風な要素が絡み合って、最後こういう風にここにこうあるんだ?一番奇妙に見えるのは画面の左上領域の雲ですが、なんだか工具の電動ドリルみたいな雲が、周りの雲を切り裂いていっているように見えて、言い方を変えると、いにしえの人はこういうのを見て、龍が来ている!などと思ったかもしれない。
茅ケ崎は空にいろんな雲を見ることができる場所・・・?そう言えば、ずいぶん前に茅ケ崎市美術館で茅ケ崎ゆかりの写真家四人展というのを見たな・・・そのなかに雲を研究している方がいらっしゃったことを思い出した。それで茅ケ崎市美術館の過去の展示を調べたら2005年の1-2月に「人と自然の表情~茅ケ崎ゆかりの写真家たち」という展示が行われていた。取り上げられていたのは岸哲夫(元カメラ毎日編集長、飛鳥や近江など万葉集の風土の風景写真を撮った。1909-2002)、伊藤洋三(雲の写真、科学写真を志ざし、雲の表情を追いかけ学術的価値を有したが、あくまで写真家として対象に向かい造形の美しさを教えた。豊富な知識と探求心はなみなみならぬもの。1917-2004)、相澤實(フラッシュを使わず自然光で著名人の肖像を撮影。(展覧会では)人間国宝と映画監督のシリーズを出品、。1944-)、そして島尾伸三の四名だった。島尾さんの小田急ロマンスカーの写真が展示されていたことだけを覚えてる。
伊藤洋三さんってどういう方だったのか、その名前を検索してもそれほど多くの記事は出てこなかったけれど、文庫の保育社カラーブックスシリーズに「雲の表情」という本を出していることがわかりました。アマゾン中古で送料別で680円くらいで売っていたので上記経緯もありちょっと面白そうだと思いポチってしまった。27日頃に届くだろう。
そのカラーブックスシリーズが自室の本棚の四冊か五冊くらいある。多くは古本で買ったのだが、そのなかの「蒸気機関車」というのは写真家の広田尚敬さんが著者で昭和44年の第五刷250円とあった。これたぶん中学1年の私がちゃんと本屋で(古書ではなく)買った本だと思われる。少年だった私は写真をながめ文章も詳細に読んだと思うが、その文章が抒情的で、たとえば機関車を擬人化して、消えてゆく悲しさを語らせたり。そういう文章を中学生の私がどう読み取っていたのかはわからない。この蒸気機関車の本の話に移ると、またいろいろ書いてしまいそうなので、今日はここまでとして。
下の写真はこの「続々・ノボリゾウ日録」になる以前に書いていた、ノボリゾウ日記(ブログ運営会社が破綻してデータ保存もできないままなくなったが、使った写真だけは自分のHDDに残してあった)に2006年の9月に載せていた写真。タイトルは「鳥のような雲」と「鳥のような雲2」で、私はこの雲が、大きく翼を広げて飛ぶ鳥に見えたのだった(今もそう見えた)。すなわち下の2枚は16年前の写真です。夕焼けが進んだ下の下の「鳥のような雲2」はもう鳥ではないかもしれない。