ほそまい雲

 2013年7月に撮った鎌倉駅西口。明るく白い曇り。いまとあまり変わってないと思ったが、実は変わっているのかもしれない。そこで、グーグルストリートビューを見たら、ほとんど変わってないですね、やはり。

 7/25のこのブログに雲の写真を載せた。

アレック・ソスの「(天使の写真を持つ)ボニー」を観てから空を見上げたら - 続々・ノボリゾウ日録 by 岬 たく (hatenablog.com)

写真の左上の、雲をさらに別のドリルのような雲が切り裂いているような、そうそうサンダーバード2号が積んで運んだ「ジェットモグラ」が雲をかきわけて進んだような、あまり見たことがない雲は一体なんだろう?そう思ったあとに、茅ケ崎に住んでいた雲の写真家に伊藤洋三さんという方がいらっしゃったこと、その方が書いたカラーブックス「雲の表情」という本があったこと、アマゾンで売っていたので読んでみたくなりぽちったことを書きました。今日、その本が届いたので早速捲ってみた。高層に刷毛でなぞったような絹雲(すじ雲)というのがあり、その雲の一種に「ほそまい雲」があるそう。写真でこの雲を見ると、ちょっと似ている。ほそまい雲の「ほそまい」ってなんだ?細いと巻貝(マイマイ)という意味だろうか。同じ巻貝でもカワニナはちょっと縦長で、もっともっと縦長な貝もあるだろう。

 だけどだけど、7/25の写真には、同じ高度(と思われる)ほかの雲は(上記の推定の意味があっているとして)「ほそまい」になっていなくても、絹雲であれば同じ種類だろうが、なんかいろんな雲のミックスフライ定食のようで、そんなに高いようにも思えない。そうなると、目星をつけた「ほそまい雲」はまったくの見当違いかもしれない。

 伊藤洋三著カラーブック「雲の表情」のP23には、くらげの形に見える雲の写真に添えて、こんなことが書いてあった。

『海月(くらげ)のような雲です。気象台の方もこう呼んでおられるので、私が勝手につけた名ではありません。郷里四日市の在方の自宅付近で写したものですが、その後今日まで、こんなにみごとなものはついぞ見かけません。自然現象を対象とする写真では、チャンスを掴むことがいかにたいせつであるかを、しみじみ感じるのです。このおどけた雲に「憂きことを海月に語る海鼠かな」という蕪村の洒落た句を借りてみました。』

寺田虎彦や中谷宇吉郎のエッセイを読んでいると、科学者の書いたものでも、科学者が常識として持っている?文学的素養とか美への感覚が語り口の基盤になっている(と感じた)。この伊藤洋三さんの文章にもそこここにそういうことを感じる。こういう感じがいいと思った。

 鎌倉駅の写真とぜんぜん違う話に終始しました。