雨降る日に

 雨降る。強く。

 朝、通勤自家用車を東京に向けて走らせているときにはまだ雨は降っていなかった。ラジオで気象予報士の女性が、もうすぐ雨が降り始めると言い、その通りになった。雨は深夜にはやみ、明日は晴れるという。そして気温は、一昨日から今日まで「右肩下がり」で寒くなったと言い添えた。V字回復とか右肩上がりとか、一番最近のグラフが上り調子になって好調なときに言う。だけど今朝このラジオを聞いたときに、ふとそのグラフに人の写像を重ねてしまった。その人がこちらを向いていたら、写真なりグラフ用紙上の写像の一番右側にあるのは彼の左肩じゃないか、だからグラフが上り調子なことはそこにこっちを向いて写っている人の肩に例えて言えば、左肩上がりじゃないか。そうでなければ、その人は向こうを向いていて、写真なりグラフ用紙上の写像のいちばん右端に向こうを向いた人の肩があれば、それはその人の右肩だから右肩上がりでもいいわけだ。だけど、肩はどんなにいかり肩の方でも、傾きがプラスにまでは行かないんじゃないか。だから右か左かはさておき、肩上がりは幻じゃないか。。。いやいや、この場合の肩は人の肩の比喩ではなく、路肩という単語で使われるような、端っこという意味の肩であって、だからグラフの右の端っこが上がっている、傾きがプラスのことを言うんだろう。以上、車を運転しながら考えていたことであります。朝からくだらない。

 帰宅時間は強い雨が降っていた、傘をさして自家用車の停めてある駐車場まで歩き、そこまでは傘のおかげでなんとかなった。そのあとは、ドア開ける→バッグを助手席に入れる→後部座席のドアを開ける→急いで傘をたたみ放り込む→後部座席ドアを閉め、運転席ドアを開け、乗り込む、という手順で、この最後のところで雨に打たれ濡れてしまった。運転席に滑り込んでから、緑色の薄手の春と秋用のステンカラーコートを脱いで後部座席に放り投げた。このコートを脱ぐ作業が一苦労だ。左肩を四十肩でも五十肩でもない六十肩、六十肩なんて単語はないかしら、痛めていて、過去に右肩を同様に痛めたときと同じ経過なのであれば、あと半年くらいは治らないだろう。

 帰路、道はずっと渋滞していた。上の写真は街灯が照らしている雨の粒、というか粒の作る線が写っています。街灯の光は車の窓ガラスに付いていた水滴がその位置に被ったのか変な形に歪んでいます。その歪んだ形がニワトリの顔のように見えるのは私だけか。一番上はトサカに見立てます。

 あなたが気になりだしてから世界が息づいてる、とユーミンが歌う曲がUSBから車内に流れた。人生は誰か(歌詞ではあなた)がいるから人生だ。ちょっとだけ合わせて歌ってみるが、女性歌手のキーはまったく合わないな、高音が付いていけない。