夜の七時を過ぎて、環状八号線。赤信号で停められた車の向こうの横断歩道を傘をさした人々が行き交った。
幹線道路の横断歩道を歩行者として傘をさして渡った雨の秋の夜が私にはあっただろうか?と思う。きっとあったのだろう。だけど具体的にあのときがそうだったということを思い出せない。
十年くらい前だろうか、中目黒にあったインポッシブルのギャラリーで沢渡朔写真展「RAIN」を見たことが思い出された。雨の夜の東京のスナップ。濡れた路面やタクシーのテールランプの軌跡。人通りの少ない、みな家にこもっている雨の夜。その夜に、どこかの部屋で撮られる女性のヌード。官能的で背徳的で、わたしはあてもないけれど、必ずどこかに繰り広げられているのだろう、知らない世界。好奇心のかけらに促され、その濡れた街と密やかな部屋(の写真)を、立ち尽くし傍観者のように見ている。それこそ雨に濡れながら茫然と。そういう気分に写真を見ながら襲われたことがあった。(と、記憶はこうなのだが、本当にその雨の夜の都会のスナップとともにヌード写真が展示してあったのか、それは妄想に過ぎないのか、はっきりしないのだが・・・)
信号待ちのあいだ、一人を意識するということは、一人じゃないことを願っているからだろうか?と、唐突にそんな疑問が降ってわく。でも信号が青に変わり、アクセルを踏み、車が走り始めれば、おセンチは終わり。明日は雨が上がる、余計に待ち遠しい。