秋の淋しさは大昔の記憶

 10月は、一日過ぎて短くなる昼すなわち長くなる夜の時間の変化がいちばん大きいから、季節が冬に向かいイメージとして急降下している感じがして、そのせいでどこか寂しくて人恋しくなる。そんな10月の14日は、午前は日が出ると昨晩の天気予報で言っていたが、晴れ間は見えず、ずっと暗い曇りの時間が続いた一日だった。これは勝手な仮説、仮説ということすら満たさない戯言かもしれないが、むかしまだ人類がせいぜい火を使えて、若干の道具をかろうじて生み出せたころ、夜は肉食獣などの襲来を恐れて一族か部族かの単位で、洞窟のなかに身を寄せて、朝を待っていたんじゃないだろうか。だからどんどん昼が短くなり夜が長くなる秋は憂いと恐怖の季節であり、春は少しだけ歓喜の季節だったんじゃないか。そのことが我々の遺伝子にも組み込まれていて、秋になると憂鬱になり、そして・・・ここからは冗談めいていますが・・・そして、夜になると光が漏れて人の気配がする居酒屋に誘われて、ほっとするんじゃないか?

 写真はまたも一年前の10月に撮った写真を見に行って、タイムスリップしてという感じもある、そこから見つけて来た写真ですが、このブログには使ってないと思うけど使ったかもしれない・・・。今日のように曇りでなければ、そしてそんな日はほんの数日前もそうだったというのに、この秋の午後の日差しがカーテンや植物の影を作っている光景のある日に憧れる。

 ま、暖かいものを食べて、ほとんど飲めないから舐めるようにだけどお酒をちょっと飲んで、それだけのことで、秋の夜長もいいもんだ・・・などと幸せになるかもしれないんですけどね。

 小学生の頃は近くに農林省の研究場があった。そこはいま平塚市の野球場やサッカー場のある総合公園になっているところで、敷地内に田んぼや畑やいろんな樹木や池や温室があって、さまざまな農業の研究が行われていたのだろう。農薬のテストもするから一般者が入ると危ないというので、立ち入り禁止だった。その農業研究場の広い敷地のなかに職員の住居もあり、職員の息子のなかにはわたしの同級生もいて、だから彼らと一緒であれば敷地内に入ることが出来た。中に入ると夏にはカブトムシもクワガタも、ギンヤンマもオニヤンマも、たくさんの「垂涎の」虫がいたものだ。その研究所の方から、秋の夜になるとよくフクロウの声が聴こえてきた。9月に捕まえた(これは農林研究所に行かなくてもそのあたりの原っぱにいた)コオロギなどの秋の鳴く虫たちは甕や虫かごに入れて、キュウリやら林檎を楊枝に挿しておき飼っていたが寒くなるとつぎつぎに死んでいった。コオロギの中ではミツカドコオロギが好きだったが、子供はなんでもかんでも尖ったかたちがかっこいいと思うのか、カブトムシもクワガタもそうだ。ミツカドコオロギは単に顔の周りに小さな尖りがあるだけだったが、それでも好きだった。最後まで生きているのはたいていは大きなクツワムシで、がちゃがちゃと鳴く。とうとうクツワムシが死に、フクロウの声が聞こえると、秋が深まってもうすぐ冬だなと、少年だった私も、もうしょうがないな、という気分だった。すなわち、子供の頃から、ずっといまも夏が好きだったんだな。一月生まれ、冬生まれだというのに。