寄り道、道草、遠回り

 ひとり旅では、行ってみたい見てみたい場所や景色があり、食べてみたい飲んでみたい料理や喫茶があり、ときには乗りたい交通手段や鑑賞したい美術もあるかもしれないが、本を読む環境を求めるというのも、少なくとも私には上位の希望として「あり」です。まだこのブログにはそのことを書いていないけれど、旅の二日目に京都から大阪の岸和田城に行って重森三玲作庭の石庭を見て来ましたが、その行き帰りの電車移動も読書時間に充てるというのを最初から楽しみのひとつに入れていた。泊まったホテルも読書のために選んだ。フロント階から地階にかけて壁全体に大きな書棚があり、さまざまな分野の京都にまつわる本で埋め尽くされていて、気に入った本をゆっくり読めるソファーや椅子があちこちに置かれている。かといって小難しい本を持ってきたわけではなく、ライトノベルなんだろう夏川草介著「本を守ろうとする猫の話」にしたが、新幹線と大阪の行き帰りと、食堂や居酒屋で頼んだものが出てくるまでの時間に読み進め、二日目には読み終えたので、三日目の昼に、烏丸御池駅近くの大垣書店で大崎清夏著「目をあけてごらん、離陸するから」を購入した。

 書店から適当に歩いていると、下の写真の「つくるビル」の交差点に出た。1960年代のビルをリノベしたアトリエビルだそうだ。そしてこの五条通を渡るための大きな歩道橋も調べてみると1968年に作られていて、リベットむき出しの細い橋脚がいい味を出していて、その橋脚がアール(曲線)で桁に繋がっている一体的な構造が特徴的。これもにわか知識を得るために調べると、ラーメン構造というそうですが、その解説を読んだけど、土木学の専門?いや、たぶん基礎知識程度なんだろうな、それもないからなかなか理解出来なかったです。すなわちこの歩道橋とつくるビルと「セットで」60年代なのですね。ちょうど低学年の児童が下校する時刻に当たったのか、街のあちらこちらで小学生を見かけた。だいぶ前に、写真家数名が選ばれて、写真家の子供の頃の登下校の通学路を撮影した写真集シリーズがあった(と思う)。

 私は神奈川県の平塚市の、明治6年に創設した小学校に通った。なにしろ校歌に「思えば明治六つの年」という歌詞がありました。登校路はバス道りを南へ200m、大きな交差点で左折して東へ800m、T字路を右折して南へ300mと、計1.5キロほどあり、学区の一番端っこだった。だけどこの指定された通学路は登校のときに守るだけで、下校のときは細い住宅街の路地を、ときには誰かの家の庭なのか路地なのかわかんないような小路も交えて、あるいは総合病院の中に入り込み病棟を繋ぐ渡り廊下や患者が診察を待っている廊下まで、勝手気ままに選んでいた。告白してしまうと、途中で食べ残して家に持ち帰らなくてはいけない給食のコッペパンをさりげなく捨てたこともあった。あるいは煙草のパッケージを集めていて(きっかけは父が外遊してきた同僚から海外の煙草の箱をもらってきたから、そこから集めたくなったのです)道に落ちていた国産煙草の箱を拾ってポケットに入れて持ち帰ったこともあったが、もし見つかると子供のくせに煙草を吸っていると勘違いされるのではないかと怖くなった。総合病院の廊下のソファーには大人の週刊誌が置かれていて、それをこっそり覗き見る?読む?のは誰かと一緒のときで、一人では恥ずかしくて出来ない。

 そういう小学生の頃に、私の学校の近くにも××小学校と同じ名前の××第一歩道橋と××第二歩道橋が出来た。やはり1960年代の中ごろのことだった。