シャッターを押した時点でそこは特別

 いつかの日曜日、もう日が暮れた頃に、とある町を歩いていてシャッターが降りている店を写真に撮った。撮ったことも忘れてしまっていたどうでもいい写真だ、という言い方もできるのだが、だけど、この前を歩いていたときに、私は撮らなかったほかの場所とは違い、撮ったわけだから、それだけで大きな違いが、ここと撮らなかった場所とのあいだにあって、それはわたしという個人の言葉で説明が出来ない嗜好のようなことであり、では嗜好はなにでできたのか・・・?

 そんなわけだから、上に書いたように「どうでもいい写真」などではない、私の気持ちや嗜好がなせる特別な写真なのだともいえる。だけどそういう風に考えると、撮った写真はすべからく平等に重要だ、となってしまいますね。

 写真を撮るときと選ぶとき、同じ私と言う個人の気持ちや嗜好をもってしても、撮っているときの方がまだ少しは自由で、いちいち言葉にしないそのときの気持ち(あるいは気分)に従っているのだろう。それが選ぶときは急に「選者」になっていて、その選者が厄介なことに、新しさや自分らしさ、といったことと、それと相反する、既存尺度やお手本やイイねと言って欲しい気持ちという対極のふたつのあいだで右往左往していて、結果たいてい選者の自分の方がいろいろ縛られているに違いない。せめて、撮るときの、言葉以前の気分のままに撮るということを大事にしたいものだ。

 こんな話も過去に書いていると思います。。。

 調べてみるとこの写真の店はふわふわなオムライスが人気らしい。一日十食のランチも評判が良いようだった。