神奈川県中郡大磯町を散歩するとき、ときどき昼食に立ち寄る、古民家を使ったカフェ。写真はレンズの樽型歪曲収差で建物が丸く歪んでるように写っでますがさすがにまっすぐしてますよ(笑)。電車で大磯に行ったときには、日本酒を半合だけ頼むこともある。昼飲みというやつ。たしか一合からなのだが、酒に強くない(くせに日本酒が好きな)私は店の方に頼んで、そのまた半分だけ、半合をいただく。自家用車で大磯に行き、国道一号線沿いのコインパーキングや大磯漁港の駐車場に停めて散策をする日には、日本酒は飲めない。そうめんと大磯早すしのセットを食べることが多い。大磯早すしはネットにもたくさん紹介記事が載っている。大磯港で揚がったけれど規格外で商流に乗らない小さな鯖やワカナゴと、これも大磯産の柑橘酢で締めた米で作った押し寿司でひとつひとつ笹の葉に包んである。規格外とか柑橘酢のことは知らない方が良かった気がするな。晴れた休日にふらっとこの店に立ち寄り、読書をしたりフイルムカメラで店内に置かれたラジカセをファインダーの中で見てピントをわざとぼかしたり合わせたり。ほかのお客さんの話声がなんとなく耳にはいり、そこに聞こえた単語からむかし聴いた曲や、むかし起きた小さな出来事を思い出したり。そんなときに早すしを食べるなら、由縁など知らずにただ結ばれた笹の葉を解いてひと口で食べて爽やかなそれを美味しいと思えばそれで十分。由縁を知ることなど蛇足かもしれない。口のなかでもぐもぐと咀嚼をしてると、鳥の声が聞こえ、聞こえなくなる。小鳥はメジロもシュジュウカラも数羽でやって来て、その数羽まとめてどこかへ去る。スタジアムの試合やコンサートでスタンディングオベーションがウェイブになって一周回って来るとき、いよいよ私が立ちあがる瞬間って、もしかするとサーファーが波を捕まえるためにずっと波が来るのを見てタイミングを測っているのと似ているのかしら。あの波が来て通り過ぎるように、メジロやシジュウカラが来てそして去る。リラックスできる休日の過ごし方。
こうして家で撮ってきた写真を見直していると、どうしてあれを撮ってないんだろう?と思ってしまう「撮らなかった被写体」を思い出してちょっとがっかりすることもある。上の写真の一階のガラス戸に写っている白い大きなパラソルは屋外のテーブルの日よけで、その傘よりはるかに高くまで伸びた大きな金柑の木があり、いまの季節には日を受けて実がたくさん光っているのだ。それを綺麗だなと思ったのに、それを撮った写真がなかった。すなわち「撮らなかった被写体を撮らなかった後悔」は「もう遅いよ」で取り返しがつかない。翌日に慌てて撮りに行っても、同じ感覚では、もう金柑の木を見られないだろう。その後悔が、写真に撮らなかった被写体を写真に撮った被写体以上に、心に焼き付けて風化させないよう作用することもある。