独りよがりの写真

私の乗っている電車は走っている。並走している山手線の電車も走っている。
車窓からの風景をぶれないように流し撮りをするのにあたり、ビュンビュンと飛び去っていく風景を、狙った被写体がピタリと止まり、その前後が流れるように撮るのは至難の技だ。私の場合だけかもしれないが大抵は流し撮りのカメラを動かす速度が狙った被写体をピタリと止めるための速度よりも遅くなってしまう。自分の目が主被写体を見つめ続けるときの眼球の回転速度とカメラを動かす(回転させる)速度をシンクロさせれば良いと言うわけだが、見つめ続けるときには頭を固定などしないわけで、むしろ眼はなるべく正面を向くべく、頭の方を回し、頭の角度が正面からずっと横を向いた上でまだみつづけたいときに初めて眼球が回転する、と言うのが人のからだの自然な動きの順序だろう。光学ズームが望遠端まで来てももっと望遠にしたいときに電子的なトリミングズームが作動するように。
そんなシンクロを意識して車窓の流し撮りをしている訳ではないのだが、こう書いてみると、私の車窓流し撮りにおけるカメラを動かす速度の速度不足は普通に頭も動かしているからなのか?と思ったり。次回は眼球の回転だけで被写体を追って、その回転に合わせるようにカメラを動かしてみようか。
速度不足だと狙った主被写体よりも後方の被写体にピントが合って、肝心の被写体はぶれる。手前もぶれるし後方もぶれる。シャッター速度が遅いほど、露光時間中に速度が合わなかったところで発生する横に流れるブレは大きくなる。あまりに大きいのも困るが適度には流れて欲しいが、そうなると主被写体をピタリと止める為には余程正確なカメラを動かす速度が必要になる。もしかしたら手ぶれ補正がどう動くのかにも結果が左右されてあるのかもしれない。こんな風な車窓の高速(線路端の踏切が上がるのを待ってる人や通過駅のホーム上の人などの近い距離に止めたい被写体があるときは高速になる)流し撮りなど、やっている人がほかにも大勢いるだろうが、大勢とは言っても飛行機や電車やレースカーやスポーツや、そう言う健全なよく知られた被写体における流し撮りをする人との総対数にすると極小勢力だ。車窓の高速流し撮りに最適化された手ぶれ補正の動き方にはなってないだろう。
なんだかいま使っているコンパクトカメラは、車窓の高速流し撮りへの手ぶれ補正の反応が一つ前の機種とは違うのかもしれない。前のカメラと同じように車窓写真を撮っても、新しいカメラの方が全体的にブレが止まる距離が遠くなった、そんな気がする。
今度からは、頭を固定して眼球とカメラの回転をシンクロさせ、また手ぶれ補正はオフにしてやってみるかな。
そんな中で、並走している電車がこちらとほぼ等速だとカメラを動かすのも微少で、電車内でそれぞれの物思いに耽ったり、スマホの世界に入っている人達がこうしてぶれずに写る。
車窓写真を何百枚も撮った中でこうして狙ったところが止まっているから写真を選ぶときに、それが速度差の少ない並走で撮られたから失敗せずに済んだってことを忘れてしまい、この写真の場合はカラフルな服の女性が止まっているから数少ない成功写真に思えて嬉々としてこうして載せた。
しかし後日にこの写真を見ると明るい車内と、微かには写っているステンレス車体と緑の線以外は真っ暗で、本当はこの真っ黒いところに街灯や車や夜の住宅の窓明かりが横に尾を引くように流れていれば、これが走行中の電車だとわかるわけだが、この写真ではそう言う動きの証明のような光跡が皆無だ。そのことに後日になって気が付いた。なのでこの写真を見た人にはなんだか解像度のよくない電車の客の写真だな、と言う感想を持たれるだけでこれが走っていることをわからせることが出来ない。
ほぼ等速の並走なので流し撮りの動かす速度もゆっくりでよくて、だからこの写真の難易度は低いのだが、それでも車窓の流し撮りで主被写体が止まって写ったから私は前述のとおり嬉々として載せたが、それは撮影状況を知ってるからで、それを、即ちこの写真が走行中の電車から並走する電車を撮ったものだと言うエピソードを、「知り得ない」ほとんどの鑑賞者にはこの写真は止まっている向こうのホームの電車のようにしか見えない。すると途端にこの写真が良いとも思わない、のではないか。
独りよがりの写真と言うわけです。