ぼんやりと頭のなかに浮かぶ

 電車が来るまであと五分。五分あればなんとか駅そばをかき込むことが出来るだろう。そう時間を読んで、蕎麦を頼む。熱い蕎麦にふぅふぅと息を吹きかけながら、口の中をやけどするのも構わず、どんどん食べた。今から思うと、ホームの蕎麦屋で時間ぎりぎりに蕎麦を食べることを旅のひとつの楽しみに思っていたのかも、あるいは今もそう思っているのかもしれない。好きなのは、かき揚げ蕎麦かコロッケ蕎麦か、あるいは竹輪天またはごぼ天の蕎麦だ。かき揚げ蕎麦のかき揚げは蕎麦汁に浸ってくにゃっとなり、天ぷらの油が蕎麦汁に混じるのがいい。そこで蕎麦の上に乗っけて出てくるかき揚げは、食べ始める前、最初に蕎麦の麺の下に沈めてしまう。これはそういう食べ方が実は美味しいと文春文庫だったかのB級グルメ文庫の駅そば記事で読んで以来そんなことをするようになった。こういうお行儀が悪いというのか、ちょっと乱暴で男っぽい(のか?)食べ方を真似てはいい気になっていた。もうひとつは、椎名誠のエッセイに書いてあったカツ丼の食べ方で、男たるものいちどカツ丼を手にしたらテーブルの上に戻すことなくワシワシとかっ食らい最後まで食べきるものだ、というのを読んでそんなこともしばらく真似ていた。

 このまえ、蕎麦屋に行った。どうしてもカツ丼を食べたくなり、なにかの蕎麦(忘れてしまったが・・・うーんと、ざるそば一枚だったろうか)に小カツ丼まで一緒に頼んだ。だけど満腹になってしまい、それでもカツ丼のカツだけは全部食べたが、ご飯(しかもカツ丼のタレが掛かった美味しいやつ)は半分くらい残してしまいました。

 写真は宇都宮線(東北本線小山駅。撮影はもう十年くらい前。小山といえば、70年代前半のSLブームの頃に、親戚が住んでいてそこを訪ねた折に、おじさんが小山機関区に連れて行ってくれた。当時は機関区の入り口で、写真撮りたいんだけど入っていい?と聞けば、いいよ~気を付けてね、とだけ言われて、それだけで入れた。私が中学生のことだ。小山駅には両毛線で使われていたC50型のSLが入れ替え作業に動いていて、いまでも番号まで覚えているのだが、110号123号125号のC50を写真におさめた。撮ったカメラは、がたが来ている父のお下がりのオリンパスで、レンズ性能が長年の使用でおかしくなっていて、写真は低い解像度で全体にぼんやりとしていた。ぼんやりとしていた写真が、ぼんやりと頭の中に浮かぶ。