雨の夜、バスを待つ

 線状降水帯という単語は数年前までは知らなかったが、いまテレビの天気予報で天気図を示されて解説されると、たしかに線状に真っ赤な豪雨領域があり、名前の通りだと思う。では、数年前までこの単語をあまり聞かなかったのは、こういう降水帯が発生することが頻繁になったのが、ここ数年ということなんだろうか?三日か四日前・・・6/2の金曜日は台風の影響で、大雨が降った。会社の終業時刻は午後5時なのだが、窓際おじいさん族権限で(笑)、45分ほど早く退社させてもらう。最寄り駅までは大風で何度も何度も折り畳みの華奢な傘がおちょこになったが、雨脚はそれほどでもなかった。ところが駅のホームで電車を待っている数分後には、いままで経験したこともないほどの大雨になった。雨粒の一粒はそれほど大きくないが、密度の高い雨粒量が高速で屋根にぶつかるらしく、ホームの屋根に当たる雨の音が甲高くて聞いたことがない感じだ。鋭利な危ない雨、ナイフのような雨だと思った。

 その金曜の夜に、いつもの金曜の夜のように新日本風土記が放送されているだろうとBSテレビを付けてみたが、放送時間帯が変わったのかな?(もしかしたら3月か4月の編成替えで?)それとも今日はたまたま放送がない日だったのか、やっていない。その代わりに映画「グリーン・ブック」が映った。はじまって40分くらい経ったところだった。この映画は五年くらい前だったろうか、京都に行った日に台風が来て、時間をやり過ごすために映画館で観たことがあった。それでなんとなく他のことをしながらの「ながら観」をしていたが、結局最後の方は真剣に観てしまう。

 生まれたときから「そういうものだ」と教え込まれた、あるいはそれが当たり前の日常で育った「常識」を誤っているとはだれも思わないし、だから「相手の常識が自分の非常識」ということが両者に起こり、そこから諍いが起きるんだろう。話し合うしかないですね。

 もしかすると崇高で卓越した音楽家の演奏は、そういう刷り込まれた誤った当たり前(生まれつき洗脳されている常識)を、あれ?いいのか?と気づかせてくれるのかもしれない、なんて思いました。