露出設定に対しての真剣さがフイルム時代に比べてずっとルーズになっているのは、ISO感度が一枚一枚オートで変わってくれて(ISO AUTO設定にしてあるとき)だから、シャッター速度が明るい屋外を撮るときに設定した、例えば1/800秒のまま、くらい室内や建物内に入っても変更するのを忘れてしまっても、こんな風にものすごくISOが上がってしまっても、少なくともblogに載せる目的の画像データでは大きな破綻がなく、写ってくれるからで、カメラ様々というわけ。上の写真はそういう高速シャッターでISOがすごく上がった写真です。だけど、このときにはそれに気が付いて、シャッター速度を遅めに変えて、例えば1/30秒に変えて、それでもフイルム時代の感覚だとずいぶん高いISO感度だったが、撮り直した。ところが撮り直した写真とこの高速シャッターで撮った写真に大差があって、それはこの写真は高速シャッターゆえにここを照らしているLEDライトの明滅を平均化できずに、カラーシェーディングが写っていて、横一線に中央が黄色っぽかったり、階段の上の方が緑っぽく写っている。だけどカラーシェーディングの境界が明確でないのは、LEDだけでない明かりや階段の上から入って来る屋外の光が混じり合っているからだと思う。シャッター速度を落としたちゃんとした写真の方は、この写真の下の方の色合いが全面に亘って同じ感じで色が乗っている。まったく!写真というのは真を写すと書くけれど、ヒトの目に見えているのが真だと仮定すれば、もう一枚の方が真だけど、これだって1/800秒の光の真実だから嘘ではないのだ。そして、なにより重要なのは、どっちの写真に心が動かされるか?記憶を揺すぶられたり、なにかを思い起こさせたり、かっこいいと感じたり、そういう心の動きが生じそうか、というと、こっちだったのでこっちを選んでブログに載せました。場所は横浜駅近くの水信ビルという1976年のビルの地下道から地上に上がる階段です。
むかし、30年くらい前だろうか、出張でパリに行ったときに一人で歩き回れる日が一日あって、カメラを二台、一台はミノルタオートコードにカラーフイルム、もう一台はコンタックスTにモノクロのTMAXを入れて、だいたいは行きたい場所を定め、だけどそれはおおらかな感じであとは適当に気の向くまんまに歩き回る、ということが出来た。どこか地下鉄のターミナル駅はこの写真よりは大きなタイルが貼られた通路がくねくねと折れ曲がり、そのところどころで音楽大学の学生が四人くらい集まってはクラシックを演奏していて、それなりの人数の人たちが回りを取り囲んでいて、終わると拍手とともに楽器ケースにコインが投げ入れられていた。地下鉄の地下道には花を売っているおじさんもいたし、やって来た地下鉄に乗ったら、その車両はがらがらで、フォークギターを抱えてボブ・ディランを歌う青年がいた。あの頃、30代のわたしはちょっとドギマギしてしまい、彼の歌なんか興味ないそぶりで彼から離れて座ったが、今なら目の前に立って、コインの一枚くらい投げ入れたいと思う。音楽というものが日々の日常に当たり前にあるんだなと感じたものだが、いまのパリではどうなんでしょうね?ワイヤレスイヤホンで音楽を聴くから、もうストリート?地下鉄通路ミュージシャンは以前ほどいないかもしれないな。
地下つながりの話でした。