象が飼われていた中野坂上

 先日、東京工芸大学にある写大ギャラリーまで立木義浩写真展を観に行った。写大ギャラリーは地下鉄丸ノ内線中野坂上駅から徒歩10分くらいの場所にある。上の写真は駅近くの中野坂上セントラルビルというオフィスビルの一階ガラス窓の向こうと反射しているこっち(わたしの後方の景色)がダブルイメージになった写真です。

 昨日のブログに象の写真を載せておいて、文章では、象とは関係ないが・・・と前置きしたのちに大辻清司展のことを書いたのだが、書いたあとに、象と関係あることを思い出しました。

 この上の写真を撮った中野坂上の町を、写真展を見た後は住宅地のなかの車も通れないような細い路や階段を辿って駅まで戻って来たのだが、その途中に小さな公園があり、そこに立て札がありました。読むとこう書いてあるのです。

『象小屋(象厩(きさや))の跡  江戸名所図会に「中野に象厩を建ててこれをかはせられたりし」と書かれている中野の象小屋は、このあたりにあったといわれています。江戸時代、象は人々の好奇心をそそり、「象史」「馴象論」「馴象俗談」などの書物が出版され、象にちなんだ調度品、双六や玩具類もさかんに作れれました。 中野に来た象は享保十三ねん(一七二八)中国貿易商鄭大威が八代将軍徳川吉宗に献上するため、ベトナムから連れて来たものです。・・・(中略)・・・江戸に着いてしばらく浜御殿で飼われていました。のち中野村の源助に払い下げられ、成願寺に近いこのあたりに象小屋を建てて飼育を続けましたが、寛保二年(一七四二)に病死しました・・・(後略)・・・』

 へぇ、と思ってあたりを見回しましたがよくある住宅地とそのなかにある小さな公園、そんなありふれた場所でした。源三というひとについては、払い下げを受けた人物名として名前が出てきますが、それまで象とどうかかわっていたか、どうして払い下げを受けることになったのか?象が好きだということが払い下げの理由のひとつになっていたのか?それとも好きだ嫌いだではなく、別の理由で「おはちが回ってきた」のかまったくわかりませんが、そこがちょっと興味のあるところです。

 江戸時代の人が「事前に知ることができる」象の情報は、それほど正確ではなかっただろうから、初めて見たときは驚いたことだろう。知らないことによってすごく驚くことができるというのは、今はなかなかそういう体験は難しいですね。だからサプライズという言葉で特別仕立てにするわけか・・・