夢は忘れちゃう

 屈んで隠れているのだが、赤い光がさしてきたから、いよいよこの窓に差し迫って来ている。このまま隠れていても、結局すぐに赤い光を浴びせられてみつけられてしまうに違いない。ではどうしようか?この狭い車内で少しくらい場所を変えたところで、なにも変わらない。音が出るから追いかけられるのは覚悟の上、反対のドアを開けて外に飛び出し、一目散に森の方へ走るしかない。

 と、こんな感じに切羽詰まった夢を見たことがあった気がする。最近は夢を見ても起きた瞬間に夢の物語が、砂に浸み込む水のように、すーっと消えて行き、余韻というのか物語の尻尾の感触だけが残っているが、具体的な物語はもうすっかり忘れている。

 今年見た夢で覚えているのは、数年前に亡くなった尊敬する大先輩が夢のなかでは生きていて、また一緒に仕事をしよう、と言う夢くらいだ。

 だけど、私は二年前、2021年の春に某手術をして、点滴や腹の中に差し込まれたチューブを付けて、それでも術後三日目か四日目からはそういうのを引っ張りながら歩け歩けとリハビリをさせられたのだが、その十日くらいだっただろうか、もうちょっと長かったかな、入院期間には起きても見ていた夢をよく覚えていたものだ。夢の場面を絵に描くことも出来たし、物語を詳細に綴ることだってやろうと思えばできた。どういうことなんでしょうね?手術をして損なわれたところを再生回復すべく、早速に身体がいろいろな動きを開始する。そういう身体の働きのなかでの副作用が夢をリアルに覚えていられるに繋がったのか?

 たいてい、どこか知らない町を、楽しくではなくかといって悲しくでもなく、なにか中間的なグレーな気分で歩いている(あるいは車で走っている)、これは手術後に限らず、よく見るのですよ、都市が舞台になっている夢。

 子供の頃に父親の本棚に夢判断という文庫サイズの本があり、見た夢の意味を解説してあったのだが、どうも夢が性的願望の現れだ、という説明が多くて、こっそり調べては困ったものだどうしようか、と悩んでいた。