二十日のあいだに木々はどうなった?

 写真は今日から数えて二十日前の京都一乗寺の公園で撮った写真です。この写真から二十日経って、もう木々の葉は散ったろうか、それとも色づきのピークにあるだろうか、そんなことを思うがわからない。
 これは遠くの、今いけない場所の木々の葉の色の話だけれど、結局のところ人は相手が自然(この場合は紅葉という一例)でも、誰か関係の深い人でも、過去にならない近過去または現在(今日)に日々相手の状況を把握更新していないと、わからなくなる。多くのことはわからなくなっても気にならないのかもしれないが、わからなくなりたくないこともあるだろう。でもそれはこっちの勝手で、片想いというやつか。あぁ、京都のこの場所でも、ほかでもいいけれど、季節の移ろいが早い季節には今を今としてその移ろいを知っていたい。というような愛のような思いがあるから、ときに定点観測という行為が生まれるのかもしれない。毎日毎日自分の顔を何十年も撮り続けた写真家もいらっしゃったけれど、あれは、第三者的な自分が、一人称の自分を観察していたいという冷徹な思いなのか、それとも極端な自己耽溺のようなことなのか。

  今朝はずいぶん雨脚が強かった。まだ暗い早朝の雨の中を車を進めるのは注意を要する。不意に人影が浮かびあがってびっくりしないように・・・毎朝、季節がいつであろうと、同じ時刻にウォーキングをしているらしいスキンヘッドの70代後半だろうか、男性と私の車はすれ違う。今日は大雨だったのに、男は傘をさしていつも通りウォーキングをしていた。彼にその熱意を訪ねれば、いろんな話が出て来るのだろう。

 夜は安価なチェーンの居酒屋で会社の仲間六人で飲み会があった。私は飲み会後に自家用車を運転して帰るので、ウーロン茶とジンジャエールを飲んでいた。安価なチェーンと書いたけれど、お造りも鳥の唐揚げも、出汁巻き玉子もメンチカツも、シーザーサラダも豚角煮も、美味しかった。でもこういうふうに食べたものを並べると、けっこうカロリー高そう。正確には三十年くらい前に会社で同じ課にいて、いまは引退したり再就職したり定年後再雇用をしていたりの六人だったので、三十年前の出来事や当時の課長の昔話になって、他愛のない噂話(当時の出来事の後日譚に関するまことしやかな噂話もある)やわるぐちを言ってげらげら笑っているのだ。そして、最新の健康診断の結果や、ここ数年のあいだの大病について明かしたり。やれやれ、そういう年。

 というわけで帰宅が遅くなり、更新も遅くなりました。おやすみなさい。