一瞬の陽差し

 曇りの日にも、ほんの一瞬だけ雲の切れ間から陽がさすことがある。その光を見ると、意外と暢気に、もうこのあとはずっと晴れて来るのだろうと思うが、陽射しはほんの一分か、もっと短い時間で再び雲に遮られ、それは偶然の恵みだっただけで、その日はもう二度と陽がささない。すると、さっきの一瞬の陽差しがすごく大事なことだったんだと判って来る。そのときになってやっと空を見上げると、一面の雲だった。

 この日、私は住宅地をぶらぶらと歩いていた、そして塀の上まで伸びている誰かの邸宅の柚子の木に生っている実を見つけた。そのときに陽がさしたのだ、そのあとすぐに陽差しが消えるとは思いもせず、この写真を、一枚の写真を写した。
 この日から数日後の平日、いつもは自家用車で通勤をしているのに、ちょっと理由があって久しぶりに電車で会社に行った。通勤電車に毎日毎日乗って通った数十年のオートマチックになにも考えずにシステマティックにこなしていた満員電車への乗り降りや乗り換え駅での歩行が、コロナ禍で自家用車通勤に変えてから3年経って、もう上手く出来なくなっている。満員電車の中でも周りに迷惑をかけない問題のない位置取りをし、かつ文庫本を読むくらいの手元スペースを確保し、あるいは揺れる場所を把握していてそこまで電車が来るとつり革につかまれるようにしておく、とか、そういう「段取り」が出来なくてなっている。前に抱えるようにしたデイバックは何故か肩からずり落ちるし、慌てて乗ろうとしてドアの近くに立っている人の靴を靴で蹴ってしまい睨まれたり、どの支柱にもどのつり革もつかめない場所に押し込まれてしまったり、降りるべき駅でドアから遠い位置になってしまい降りるのに一苦労したり。

 家に帰ったら、家庭内Wi-Fiの接続が不調で数十分、不機嫌な顔をして中継器のパワーボタンを押してみたり、コンセントに抜き差ししたりして、理由もわからないままふいに元通りに接続される。

 まぁでもいいや、柚子を撮った日の一瞬の陽差しが、パソコンのモニターに映し出されたらちょっとほっとした。いいことと悪いことがある。不安なこととそうは言っても大丈夫だよという気持ちが交差する。一瞬しか陽がささなかった曇りの日があっても、翌日は快晴だったり、大雨になったりもするじゃない。いいことと悪いことがあるが、総じてうまく行くと思えば、力まずに済むだろうか。