明後日は35℃

 7月2日、夜NHKテレビの歌の番組をなんとなく付けっぱなしにしておいたら真心ブラザーズが出演していたのでテレビ番組が終わってから、Spotify真心ブラザーズを選んでパソコンで写真を選んだりトリミングをしたりフォトショップで加工しているあいだ流していた。すると拝啓ジョンレノンという曲が流れてきた。歌詞のなかに、

『(前略)・・・僕があなたを知ったときは ブルースリーと同じように この世にあなたはいませんでしたね 十代中頃でファンになってから 一番かぶれていた二十代の頃 ジョン・レノン あのダサいおじさん・・・(以下略)』

と歌われていて、そうかあ、テレビに映った真心のおふたりは結構年齢を重ねたおじさんだったけど、それでもジョンを知ったときはもうジョンは亡くなっていたのかぁ、と思いました。ジョン・レノンが死んだのは1980年の暮れも押し迫った冬で、最初は夜のテレビニュースだったかな、私はそれで彼の死を知りショックを受けました。当時は私は23歳で会社の寮に住んでいました。寮から会社の途中の乗換駅が田園都市線南武線溝の口駅で、翌日の出勤のときに駅の売店でジョンレノンの死を伝えるスポーツ新聞を買いました。この頃わたしは中型二輪免許を取得しようと溝の口関東自動車学校に通っていた。教習車はヤマハのXS400で、免許を取ったら同じXSに乗りたかった。このブログにも過去に書いたと思います、ジョンの亡くなった直後の二輪車免許取得のための自動車学校の「一本橋」で落輪してその拍子に転倒した、それまでの教習は順調にこなしていたから、あの転倒はなんだったんだろう?いまでも不思議な気もしますが、ジョン・レノンの死がなにか自分の気分や身体の動きに影響を与えていたのだろうか?不調をもたらしていたのだろうか?その後、中型二輪免許をちゃんと手に入れたけれど、転倒の記憶があったせいで欲しかったヤマハのXSは買わずにスズキの250ccを買いました。

 真心ブラザーズのこの曲は1990年代後半の曲でしょうか、当時ジョンを冒とくしている歌詞だと断罪され、FM局の中には自主的に放送禁止にしたという逸話があるのですね、知りませんでした。だけど、いま読むと、むしろジョン亡き後にジョンの歌ったような世界にはなっていないということを憂いて、愛憎入り混じった感情でその憂鬱をジョンにぶつけているという形の歌詞で、その根底にはジョンへの思いや愛情がちゃんとある。これを放送禁止にしたってどういうことだったんだろう?と思いました。

 ところでウクライナの戦争は終わらず、世界は冷戦時代のような二分された勢力図になりつつあり、個々の国は自国を守ろうと内向きになり、大国は歴史的に見ても当たり前だった通りに国を大きくしようと行動しそれが侵略なのかなんなのか・・・戦争の火種は尽きず。日常を幸せに生きたいだけの人たちはどちらの国にも圧倒的に多いのに、それは叶わず、一握りの政治家の歪んだ恐怖心と夢想が大勢の人を翻弄する。こういう「今この時」の子どもたちに未来はあるのか?と心配になるし、そういう「今この時」にジョンがもし生きていたら、なにかこうならずにもっとましな世界になっていたのだろうか?と思ってしまう。さらに日本の立地の直面しているリスクったらとんでもない状況なのに、政治家は足を引っ張り合ってお互いの弱点を言い合っているだけで、こんなんで国はちゃんと護られるのか?