むかし、二輪の教習所で転倒した

 明日の朝一番の新幹線に乗るために、都内のビジネスホテルに泊まることにした。28階のシングルルームのベッドのヘッドボードに寄り掛かりながらスマホの画面を見ている。近くのJR京浜東北線が走っていく音が聞こえる。踏切のカンカンカンという音も聞こえる。踏切の音ははっきり聞こえたり、小さくなったりする。ベッドにこうして転がる前にカーテンを開けて外を見た。思いのほか暗かった。すぐ近くの京浜東北線ではなく、もっと遠くには京浜急行線が走って行った。赤い電車は暗くて赤いことがわからず、人を乗せた光の箱がビルの向こうに見え隠れしながら走って行った。

 ふたたび京浜東北線の踏切が鳴り始める、しばらくして電車の音が聞こえる。静かになり数分が経ち、踏切が鳴り、やがて電車が通る。ところが、さきほどは踏切が鳴ったけれど電車はやって来ず、やがて鳴っていた踏切が静かになった。不思議なこともあるな。

 そう言えば、最近、羽田空港に降りる飛行機の航空路が変わったのか、会社の窓から、北から南へ、羽田空港に降りようと徐々に高度を下げて行く旅客機がよく見えるようになった。大抵、航路上の二機が同時に見えている。もうすぐに着陸する飛行機と、その次に着陸する飛行機だ。
 電車の音を聞いたり、降りていく飛行機を見ていると旅に誘われる感じがするし、どこにも行きたくないという正反対の気持ちもある。楽しいだろうという期待と、移動や観光の全部が、それが楽しいだろうことも含めて億劫に思えることもあるのだ。
 最近、パソコンの中の写真ファイルから見つけたどこかの街の交差点を俯瞰したスナップ写真にヤマハ二輪車XS400スペシャルが写っていた。むかし憧れたことのあるアメリカンタイプのオートバイ。二輪免許を取るために通った自動車学校はこのXS400スペシャルが教習車だった(ハンドルはオーソドックスなものに変えられていた)。ある日、教習車に乗ったわたしは、一本橋と呼ばれる二輪の練習コースの幅の狭い場所で、誤ってアクセルを回してしまい、オートバイは突然加速して、そのまま転倒した。そのことがあったから、転倒が車種のせいではなかっただろうに、XS400スペシャルを買うのはやめにして、免許を取ってすぐに、スズキの青い色のオーソドックスな形のオートバイを買った。このオートバイはトラディショナルとサイドカバーに書かれていた。Traditional。DOHC2気筒の250ccだ。

 オートバイに乗って移動を始めると端的に旅が始まる気がしたものだ。自分の体が自動車という室内ではなくむき出しに外の空気に触れながら、高速で移動を始めたからだろうか。当時、会社に行くためには寮を出て、国道246を右折する。ある春の晴れた朝、突然気がかわり、その交差点を左折して西へと向かってみた。もちろん途中の公衆電話で、なにか理由をでっちあげて、今日は休むと会社に伝えはしたが。あのときは、富士五湖のうちの山中湖と河口湖の中間あたりにある忍野まで行った。澄んだ池を覗いてみたりした。オートバイは跨って走っている最中にエンジンの音に耳を澄ませたり、その振動を感じることも楽しいから、それは移動時間ではなく旅の時間だ。それでも33歳くらいでオートバイに乗るのは辞めてしまったな。
 話は戻るけど、教習所で転倒した日は、ジョン・レノンが射殺されたその日かその翌日で、教習所に行く前にレコード店に入ったら、もうジョン・レノンの追悼コーナーができていて、IMAGINEやらのヒット曲が盛んに流れていたのを覚えてる。そのあと、ジョン・レノンが殺されたショックで気持ちが悲しみで揺らいでいて、その結果、一本橋で転倒した、というような理由付けをして時々誰かに話をしたことがあったが、こんなのはカッコつけてる話であって、どうしてあのとき急加速をし転倒したのかは本当のところはなにもわからない。