横浜トリエンナーレ

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横浜トリエンナーレに行ってきました。前日、ネット予約。10:30の回の空きが一人だけあったのでそこで申し込んだ。

横浜トリエンナーレとはとくに関係なく、APS-Cサイズセンサーのミラーレスカメラに古いライカスクリューマウントのレンズを取り付けるマウントアダプターを買ってみた。ライカスクリューマウントのレンズをフルサイズセンサーのミラーレスカメラに取り付けるマウントアダプターはすでに持っていて、例えば先週、平塚の花菜ガーデンで撮った写真なんかは60年代だか70年代の50mmF1.2のレンズをフルサイズのカメラに装着して撮った。ふと思い立ち、APS-Cサイズ用のを買ってみた。それが金曜日に届いたので8日の土曜に横浜美術館で早速使ってみた。しかし、朝に自室でやっていたカメラの設定で「レンズなしレリーズをする」とかの変更をしているうちに、誤って、いつもはオートにしているホワイトバランスがとある色温度で固定されてしまったようだ。そのことに撮っているあいだは気が付かなかったから横浜美術館で撮った写真はみんな赤っぽくなってしまった。上の写真はフォトショで自動補正をかけて色を戻したのだけど、それでもなんだか赤っぽい。レンズはキヤノン25mmF3.5スクリューマウント。

さて、入場してエスカレーターを上がった最初の壁にこの古そうな月の写真の展示があった。この画像の展示の「作者」にはジェイムス・ナスミスの名前があり、作品名に相当するところには『「ザ・ムーン:惑星、世界、衛星としての月」挿図より』とあった。解説文は「1874年、天空の事象と観測器具、その記録の探求が実を結びます。ナスミスはジェームス・カーペンターと共に月の画像を収めた「ザ・ムーン:惑星、世界、衛星としての月」を出版しました。同じとき、別の場所では、何百人もの人々がカメラを携えて太陽面を通過する金星を追いかけていたのです。」とある。今年のトリエンナーレの共通テーマは「光の破片をつかまえる」なので、この月を記録した出版物の発刊とその日に太陽において天体ショーがあったということの因果のようなことがスタートの展示として選ばれたのだろうか。

あるいはこの展示の解説文の上記引用と違うところには(同じ解説ボードの別の文章には)『月という世界に備わっているもの、それは-はかなさ(年老いた男性の手の甲に寄った皺のような)、暗さ(エンドウ豆のサヤさえもが投げかける長い影たたくわえるような)、大胆さ(道の果てにある小さな火山のような)、~中略~である。150年前、今日のように月を記録することはできなかったものの、一人の男性が外を眺めやり、模型を作った。それらを撮影した彼の写真は、私たちが知っている月の姿そのままだ。』とある。

ジェイムス・ナスミスを調べると、1860年くらいにだろうか、反射望遠鏡を発明した方らしいです。

この解説文だけではなにがどうなっているのかすぐには判らないが、写真の発明は1830年ころだったので(ニエプスの実験室の窓から撮った屋根の写真が1820年代)1860年にはもう写真は発明され発展を始めていた。ダゲレオタイプ1839年に発表されている。

だけどさすがに月の表面のクレーターを撮影するようなことは当時はまだできなかったのだろう、と推察する。そうなるとナスミスは自分が発明した反射望遠鏡で月を子細に観察し、それをもとに月の模型を作ったのちにその模型を撮影した写真を使って上記の本を出版したということかしら。そしてそこにずいぶん詩的な、月のはかなさは男性の手の甲の皺のようだ、とか、大胆さは小さな火山のようだ、とか比喩を並べたのもこのナスミスさんなのだろうか。そしてその本には、この展示にあるように、比喩された手の甲の写真や火山のようにも見える写真も月の模型の写真と並べて掲載されていたのだろうか。そして2020年の横浜トリエンナーレでその本のページを接写した写真がインクジェットプリントになって展示された・・・ってことなのかしら。

この推測が正しいのかどうかは作品の横に掲示されていた解説ボードに書かれたことだけからはよく判らないですが、きっとそんなことはどうでもいいのだろうな。

私が、いきなり展示されていたこれにひどく惹かれてしまい、そのあと現代作家の力作(多くは動画映像とそこに秘められた歴史(多くはパーソナルな歴史)を、同時代の眼で(言い方が悪いが多分に対岸から安心して自分勝手に)評価しなおして展示しているような力作)よりも、いや、その後の作品もみな面白かったのだけれど、これを見られて良かったなと思ってしまうのです。

結局作品を見る目がおいてけぼりを食らっていて、結局静止画の展示を見るということに安心を覚えるのだろうか。

月の夜に月に惑わされて夢に誘われるような時間を過ごしたことが書かれている吉田健一著の「金沢」は、けっこう読むのが難しくて、脈略が不明になってしまったりで私には難しい読書なのだが、それでも何度も読んでいる(読もうと試みている)のは月光の不思議さのようなことを昭和30年代や40年代のまだ暗かった夜に、月影でさえ影絵遊びをした記憶のせいなのか。そしてそういう月への秘密めいた暗い憧れがこの作品に反応したのかもしれません。そう言えば2001年に亡くなった私の父が、私が小学校のときかな「絵のない絵本」と言う月が語るショートショートからなる本を買ってくれたのをいま思い出しました。

下の写真は京急梅屋敷駅から少し離れたあたりで撮った古い建物の写真。プレートに日光××会社と書いてあります。話の流れで引っ張り出してきた(笑)

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ぼやけている写真から人はなにを感じ取るのか

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8/1土曜に昨日のブログに書いた番組のほかに、廃線になった鉄道を記録した写真や動画を見せてくれる鉄道ファン向けの番組をやっていて、そこでいまはない鉄道の懐かし動画と言うのを見ていると、当然むかしの動画はモノクロで解像度も淡い。例えば草軽電鉄の映像などでした。すると見ている自分はノスタルジックな気持ちに襲われる。でも廃線になった電車でもそれがHDの高画質動画だと、まったくノスタルジックには見えない。それは単純に同じ廃線でも最近のカラーで高画質な記録が残っているってことは、そこに写っている電車のデザインも見慣れた今のものであり、写っている町や車や人々も、同時代性がまだまだ高いから、古さを感じないんだという説明をされれば、まぁその通りなんだろうな、とも思うのですが、だけど、ではいまでも一編成だけ使われ続けている江ノ電の301+355でしたっけ、あの古い車両、あれなんか現役で目の前を通りすぎるから、うわっ古い車両まだ使われているんだ!とびっくりして思うけれど、草軽電鉄の映像を見たようなノスタルジックには襲われないし、それはそうだろう目の前の今なんだから・・・と言うのなら、では今の江ノ電をモノクロの低解像度の動画フイルムで撮ると、途端にノスタルジックに見え始めるのかしら?映像が低画質であることに時間経過の「証」「保証」があって、それを理性的に理解したうえで低解像⇒古い映像⇒ノスタルジックと心が動くのか?いや、そうではないと思う。そもそも映像として動画や静止画が「残せなかった」200年前の人たちがここにタイムトラベルしていらっしゃったとして、4Kの高画質画像とモノクロの低画質画像で撮った写真や動画を見て、そういう技術的な差異(カラーかモノクロか、低画質か高画質か)により、ノスタルジーを感じたり感じなかったりするのだろうか?これ、前提にタイムトラベルを置いた時点で混乱ですか・・・そもそも電車を知らなかったら驚愕が先に来て、そんな実験が成り立たないですね(笑)

このブログにも何回か疑問を書いたけれど、今生きている我々一人一人には古い映像と新しい映像の技術によるそういう「違い」を言葉(テキスト)として理解したりなんども繰り返しその差を見てきて刷り込まれていて、その結果として、こういう類の映像は古い映像であり、だから自分はこれを見て、懐かしいとノスタルジーを感じるべきなのだ、という風に心が動くのだろうか?これもいつもなんか腑に落ちない。モノクロで低画質の持っているもっと普遍的ななにかが人のこころの中の懐かしい記憶と偶然的に同色だったのではないか?と思うのです。

やっと梅雨が明けて暑い夏が早速やってきた。上記のようなことを引きずったせいもあったのかな?極力開放で深度を浅くしてノスタルジックに見えるかもしれない写真をたくさん撮って遊びました。@平塚市花菜ガーデン。

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ナウシカ

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付けてあったテレビのNHK BS1で「コロナ新時代の提言2」と言う番組が始まったので見ていたら、「ながら見」だったので真剣には聞いてなかったけれど、なんとなく面白かった。福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗のウェブ対談番組。宮崎駿風の谷のナウシカの漫画版原作を今の時代を考える「参考書」として捉え、そこから考察をはじめるような番組でした。キーワードは福岡伸一が最近よく言っているらしい、ロゴスとピュシス。「ながら見」なので、間違っているかもしれないが、人が全て自分で計画した「人工」は「自然」に対抗できる制御された世界であると考えがちだが、それは「自然」のなかにそのような見せかけの「人工」があるだけであり、そのことをちゃんと受け入れ忘れず理解していないと、人類はこの先、間違ってしまう、と言うようなことを言っていた・・・のかな。人工のすべて予定調和で満たされた清潔な世界だけを理想とする社会に違和感を感じて、それだけでは間違っているとナウシカが考察したような、その間違った世界をわれわれはいつの間にか前提としているのではないか?もっと予想外で汚れている世界も受け入れないと自然の中にあるたまたま進化した動物(言葉を得てしまった動物)としての人類に未来はない(・・・とまでは言ってないか)。そんな感じ?すいません、適当な視聴で。

 出演者の誰かが(それすら覚えていない)が紹介していたのは武漢がロックダウンしているときに武漢在住の女流作家がアップしていた日記で、進化した社会とは弱者を思いやれる社会だ、とその作家は言っていることが紹介された・・・あれ?これは別の番組だったかしら。物質的な充足?競争のなかで他より物欲が叶えられる経済的に富んだ社会が、進化(=民度が高い)したこととイコールではない。

そして、その番組と私が思い出したことがどう関係しているか自分でも不明だけれど、二つのことを思いました。

①2011年の大震災のあとの毎夜、東京都内だけは電車で通過していても明るくていままでとあまり変わらず暗くなかったけれど、当時行き来をよくしていた栃木県と神奈川県では駅から街に出たとたん、いつもより街が暗かった。そのときそれがぜんぜん「嫌」ではなかったのは、私が子供だったあるいはハイティーンだった昭和30年代~50年代初頭まで、夜はこれくらい暗いもので、それが懐かしかった・・・のかもしれないのだが。とにかく、あぁ「闇夜に乗じて」と言う言葉もあるけれど、闇とか地下とかに秘められたこと(物語)が、それが明るく正義に満ちていなくても、実は芸術であったりあるいは「大人の世界」であって、現にそういう闇があったから大人と言うものは今の大人ほど子供ではなかったのではないか。そんなことを思ったものだった。それで♪忍びあう恋を包む夜霧よ♪なんていう曲を、当時、茅ヶ崎駅の改札階から一階への階段を降りながら思ったものだった。以上が思い出したこと①

②AIとDL(ディープ・ラーニング)なんていうことが進み、シンなんでしたっけ?コンピューターが人の知能を越える社会がもうすぐやってくると言われ、そんな科学の進化が今ある人類社会の平衡を大きく揺るがしてしまうのではないか。それを機会ととらえるか怖いと思うかはさておき・・・AIとかDLって言うのは門外漢なのでちゃんとは理解してないけれど、過去のデータと正解の在り方から、こうあるべきということを「もっとも確率が高い」解で提示するということなのかしら。だけど、生命の進化の歴史はその確率に反するところから偶然現れた優性による変異(と言う単語ではないんだろうけれど)が積み重なった、のだとすると、昔の野村野球の乱数表のように確率野球を目指しても乱数のような「偶然」の確率を重視するところがあったように???(この比喩も乱暴だろうか)AIやDLが偶然の優性を生み出せないと、それは憂鬱な未来になっちゃいそうに思ったりするわけです。それで思うんだけど、人が大人になる、と言うかいろいろな経験が偶然積み重なってそこに嗜好が生まれる、例えば何々を「趣味とする」と言うところに行きつくのは、予想や確率ではなくもっと断面を飛び越えるような偶然(と言う名の必然)が起こしているのではないのかな。「何年前まで僕は釣りが好きで、休日のたびに近くの砂浜に行って投げ釣りをしていました。それが今こんな風にもう釣りをしなくなって、ここまで家庭菜園に夢中になるなんて思いもよらなかった」と言うことがあったとして、一例ですよ。その思いもよらないことが起きたのは「たまたまある日・・・」から始まる何かの「偶然の」出会いから影響を受けると言うことがあったのではないか?その「たまたまある日・・・」をAIやDLは起こすことが出来るのだろうか・・・って乱数的(むかし流行った揺らぎ理論的)にそういう外乱をアルゴリズムに仕込めば簡単ですよ、と言うことなのかもしれないが、でもなにか違う。気持ちと言うものはそういうことではないと思うのです。

と言う①②をなぜかテレビを見ながら考えたという土曜日の夜でした。

土曜日は写真を撮らなかったので、上は、8/3日曜に平塚市の神奈川県立花菜ガーデンで撮った写真を使いました。1/8000秒F1.2/50mmの70年代のややオールドレンズ。フルサイズMLカメラ。

 

通り雨

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午前、ベッドに寝転がって村上春樹の新しい短編集を読みながら、ふと外を見たら久しぶりの青空が見えた。そこで雨雲レーダーを見ながら、いまなら濡れずに済むぞ、と言う昼頃に家を出て、茅ヶ崎の海側、国道134と並行に街の中を通っている通称「鉄砲通り」沿いにある鰻の店に自転車で行ってみた。うな重竹3950円だった。雨雲レーダー通り、うな重を食べているあいだにものすごい雨がやって来た。食べ終わっても雨がやまないからしばらく店内でお茶を飲んで時間をやり過ごした。幸い、満席にはなっていなかったので、食べ終わったあとに雨宿りをしていても構わないのだった。12:50に雨が上がり、今度は強い日差しが降り注いだ。店を出る。私の自転車のサドルは皮製なので水を吸ってしまっているから、またがるとパンツのお尻が濡れてしまうだろう。そこで自転車を押して海まで歩いて行く。濡れたアスファルトに日が当たり、湯気(で言うのかこの場合?)が立ち、たちまち町が乾燥されて行く。それでも住宅地の庭にある木々の葉は水滴を乗せてキラキラと光っている。まだ緑の固い夏ミカンの実が生っている、その実にも水滴が光っている。雨上がりの夏の光に照らされた町は美しかった。

そのまま海に行くと、すぐにまた雨雲がやって来た。雨粒を写すときにフルサイズのカメラに50mmとかを付けているならばたぶんストロボを光らせると目の前の雨滴が大きくぼけながら光って写るのだろうそれが画面内にいくつも、丸く白く写るのだろう。でもコンデジでどうすればいいのかよく判りませんでしたが、一応ほとんど使わないストロボを光らせてみる。これらの写真で雨粒が写っているのはストロボの効果なのかがわからない。ストロボの光っている時間は極めて短いから雨粒は点に写るのではないだろうか。だとするとこの上の写真の雨は上下方向に点ではなく上から下に降る軌跡が、その長さは短くても点ではなく写っている。ストロボの光る短時間でも雨粒はこれだけ移動するのか?そうではないとすると、この雨はストロボとは関係なく写ったのだろうか。よくわからない。けどこんな写真が写っていたってことです。

梅雨はいつまで続くのかな。明けたら明けたで今よりもっと暑くなり、最高気温35度とかね、それはそれで参ってしまうんだろう。こうして四季を越えて生きているわけだけれど。コロナウイルスはインフルエンザウイルスと同様に夏には勝手に退場していただけると言う期待を冬や春には願っていたが、どうやらそうではないようですね。

 

ありふれていることの難しさ

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ありふれていることってありふれてないのではないか。映画のセットを組むということは思い通りのロケ地がない、もしくは、そこを探したりそこまで行く苦労よりセットを組んで表現者のイメージを具体化する方が手っ取り早いってことなんだろう。そしてそのセットは、ときにどこにもないSFの物語の舞台となる未来の町だったり、宇宙空間だったり、あるいは時代劇の場合はその時代にあっただろういまはどこにもない町や風景が必要となったり、そういう明確な必然に基づくセットばかりではなく、今現在の東京の、どこかにありふれてあると皆が思うけれど、実際にはどこにもない『ありふれたありふれていない』町だったりもするのではないか。いや、もうCGの時代だからこんなことももっと簡単になっているのかもしれないですが。結局どこをどう見てもありふれているなんて町は実際にはどこにもないのかもしれない。

もう一つ、ここにありふれた場所のイメージを持ちありふれた場所を探している人がいたとして、その人がその通りのありふれた場所を目の前にしたときに、ちゃんと、こここそが私が求めているありふれた場所だ!と、認識できるのか?と言うことも思う。

例えばこの写真の場所にカメラを向けたとき、私は、この町のどこかに写真としてのフォトジェニックな要素が、本当にありふれたところにはないはずの、ちょっとだけ隠し味のようにあるその要素があるからこそ、そこを写真に撮って、そのくせ、ありふれた場所もいいものだと、本当はその隠し味に惹かれただけなのに思っているのではないか。ではその隠し味ってなんだろう?と思って自分の撮った写真を見直しても判らないのだが。

そうか!もしかしたら、どこからそのありふれた光景を見たかということもあって、その「どこから」の見え方に「そつがない」と同じ場所でもありふれたりありふれてなかったりして、そのありふれてない収まりの良さをありふれた場所で見出そうとしているのかもしれないぞ。

そもそも「ありふれた風景」を撮りたいと思う気持ちを持つ理由がなにか?それは「ありふれた競争」が「絶景競争」同様、しかも天邪鬼的に面白いからかもしれない。いや「競争」なんかないかもしれないですが。ありふれた写真コンテストってあったら面白いのではないか、とか?まさかね・・・

 

雲の隙間の形

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 何年か前に鎌倉にある十文字美信さんのギャラリーで、渓谷の透明な水の流れと、流れの底にある石を撮った写真展を見たことがある。写真に向き合うときの自分の気持ち、いや、写真だけでなく音楽を聴くときも、料理を食べるときも、本を読むときも、人と会話するときも、そのときの気持ちの持ちようで、感受と言うのか感応と言うのか、そういう受ける方の力が全力であったのかどうか?と言うことがあって、全力でないときがテキトーってことになるのだろう。あの十文字さんの写真を見たときは、もちろん写真の側にも見る人に全力を出させるような写真としての格のようなものがあったのだろう、そういう抽象画のような写真にずいぶん引きこまれた。引きこまれると言うことは、抽象のなかに自分だけの具象への置き換えが起きて、その具象が自分なりの解釈の手助けとなるようなことだと思う。その解釈には見る人の知識や記憶や経験が必要となり、それぞれの写真は画像(データ)としては同一でも、それぞれの人の心に写真が残した事はぜんぶ違ってくる。あの十文字さんの写真展は何周も会場を回って、そこに見えてくる意表を突かれるような物に驚いたものだった。

空は概ね雲に覆われていて、一部だけ雲が切れている。この空になにか見えるような気がしました。これは私が撮った写真の成果ではなくて、空の成果だろう。いや、空になにかが見える気がした私の心のつたない伝達なのか。そもそもこのときこんな風に空になにか見えるような気がしたということ自体が、私の心のことだろうな。どちらかと言えば明るく前向きで元気なときにはこんなところに目が行ったりしないのではないか。

https://misaki-taku.hatenablog.com/entry/20161022

4年前でした。

車窓から撮る街

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2002年から2017年の春まで宇都宮市に単身赴任して、週末ごとに茅ヶ崎の自宅とのあいだを行き来していた。新幹線や在来線グリーン車の車窓から写真を撮ることを何年も続けていた。いまは東北新幹線に二階建て車両のMAXは使われなくなったが、MAXに乗ると二階席の窓側に座って写真を撮った。その席ならば、望遠壁に画面の下半分を切られずに、ワイドでも写真が撮れた。いまは新幹線の車窓から写真を撮ろうとすると防音壁が写るので、広角~標準で撮るのが難しくなった・・・もちろん防音壁が下半分写ることも含めて、その写真を是とする考えもあるのだろうが・・・

車窓スナップを望遠側で撮るということは、在来線ではときどきやっていたが、なんとなく高速で走っている新幹線には向いていない気がして、やったことがなかった。上の写真はコンデジの望遠側の端(100mm強?)で撮った写真からさらに少しトリミングしている。(下のは中望遠くらいで在来線からです)

何年も新幹線からワイド~標準画角で車窓写真を撮ってきたのに、望遠で撮るということをやったことがなかったので、なんだ防音壁を避けるところまで望遠にして撮ると、意外に新鮮だな、と思ったものでした。

写真を撮っていて、マンネリから新鮮に思えるときのちょっとした撮影条件の「違い」が些細なことで面白いな、と感じることがある。

と撮った本人が感じるほどの違いは他の方が見ていてもなんのことかわからないのだろう。いや、実は撮っている気持ちの問題で、実はやはりなんの違いもないのかもしれない。

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