ぼやけている写真から人はなにを感じ取るのか

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8/1土曜に昨日のブログに書いた番組のほかに、廃線になった鉄道を記録した写真や動画を見せてくれる鉄道ファン向けの番組をやっていて、そこでいまはない鉄道の懐かし動画と言うのを見ていると、当然むかしの動画はモノクロで解像度も淡い。例えば草軽電鉄の映像などでした。すると見ている自分はノスタルジックな気持ちに襲われる。でも廃線になった電車でもそれがHDの高画質動画だと、まったくノスタルジックには見えない。それは単純に同じ廃線でも最近のカラーで高画質な記録が残っているってことは、そこに写っている電車のデザインも見慣れた今のものであり、写っている町や車や人々も、同時代性がまだまだ高いから、古さを感じないんだという説明をされれば、まぁその通りなんだろうな、とも思うのですが、だけど、ではいまでも一編成だけ使われ続けている江ノ電の301+355でしたっけ、あの古い車両、あれなんか現役で目の前を通りすぎるから、うわっ古い車両まだ使われているんだ!とびっくりして思うけれど、草軽電鉄の映像を見たようなノスタルジックには襲われないし、それはそうだろう目の前の今なんだから・・・と言うのなら、では今の江ノ電をモノクロの低解像度の動画フイルムで撮ると、途端にノスタルジックに見え始めるのかしら?映像が低画質であることに時間経過の「証」「保証」があって、それを理性的に理解したうえで低解像⇒古い映像⇒ノスタルジックと心が動くのか?いや、そうではないと思う。そもそも映像として動画や静止画が「残せなかった」200年前の人たちがここにタイムトラベルしていらっしゃったとして、4Kの高画質画像とモノクロの低画質画像で撮った写真や動画を見て、そういう技術的な差異(カラーかモノクロか、低画質か高画質か)により、ノスタルジーを感じたり感じなかったりするのだろうか?これ、前提にタイムトラベルを置いた時点で混乱ですか・・・そもそも電車を知らなかったら驚愕が先に来て、そんな実験が成り立たないですね(笑)

このブログにも何回か疑問を書いたけれど、今生きている我々一人一人には古い映像と新しい映像の技術によるそういう「違い」を言葉(テキスト)として理解したりなんども繰り返しその差を見てきて刷り込まれていて、その結果として、こういう類の映像は古い映像であり、だから自分はこれを見て、懐かしいとノスタルジーを感じるべきなのだ、という風に心が動くのだろうか?これもいつもなんか腑に落ちない。モノクロで低画質の持っているもっと普遍的ななにかが人のこころの中の懐かしい記憶と偶然的に同色だったのではないか?と思うのです。

やっと梅雨が明けて暑い夏が早速やってきた。上記のようなことを引きずったせいもあったのかな?極力開放で深度を浅くしてノスタルジックに見えるかもしれない写真をたくさん撮って遊びました。@平塚市花菜ガーデン。

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