静かな夜

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朝の7:00前からテレワークを開始して、定時は15:30なのだが、今日は17:30から19:30まで海外とのテレビ会議があったので、仕事を終えるのが遅くなった。20:00過ぎにカメラをぶら下げて恒例の散歩。肩こりがだいぶ良くなったので、今日はフルサイズセンサーのMLカメラにしてみる。レンズは20年くらい前に発売された28mmF1.8。このレンズを持っているのをすっかり忘れていた。カメラの防湿庫の奥から探し出す。よくまぁオートフォーカス用や絞り用のモーターがちゃんと動いてくれるものだ。使うのは二年?三年?ぶりくらい。

夜8時を過ぎると飲食店が閉店しているということはニュースを通じて当然知っているが、その時間に外を歩いたことがなかったので、今日歩いてみて途中にあるファミレスや個人営業の居酒屋や焼き鳥ややラーメン屋がみんなもう閉店していて明かりを落としているのを目の当たりにして、淋しい夜だな、静かな夜だな、とつくづく思う。

快晴の夜空に冬の星がたくさん輝いている。その夜空の星の写真も撮る。下の写真のような広くて家の少ない場所にいると、むかしの夜の感触がある。それは私自身が子供の頃の「むかし」のことより、人類にとっての「むかし」のような感じがする・・・って書きながら自分でもなにを言っているのかよく判らないけれど。

ずいぶん前、一面の霧の中を会社まで自家用車でやってきた若い女性社員が、人が見えず音がせず車も見えず、霧で遠くの人造物が見分けられず、そういうなかを会社まで走って来るときに、もうこの世の中にはわたししかいないんじゃないかと思ったと言っていたのを思い出す。

テレワークで動くことに意識的にならないと運動をしなくなる。意識的でいるからこうして夜になって歩いてみる。こんなことはコロナ禍にならなかったらありえなかったことだろう。夜の8時には、東海道線の満員電車のなかで人にぎゅうぎゅう押されたり押し返したりしながら揺られている頃だろう。ところが上記のような「むかし」の夜にいるように感じている。心細さや寂しさのほんのカケラを感じている。たぶんこれは贅沢だろう。そして、誰かにすごく会いたいと思う。

帰宅して部屋の灯りを消して、シネマ・ダブ・モンクスのアルバムを流してみる。

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TRES~sometimes on a field kickin’a ball

TRES~sometimes on a field kickin’a ball

 

 

 

今日も日が暮れる

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雨が上がったので日が落ちたあとに外に出るが、風に乗って雨が顔に当たることがある。スマホで雨雲検索をすると、あと10~15分経つ頃にひと雨通り過ぎる可能性がある。もし雨が降り始めたらすぐに家に帰れるようにと、家の周りを周遊するように道を選んでいたが、結局、雨はもう降らずに雨雲は去って行った。そこで周遊をやめて、ホットモットに行くことにして道を定める。途中で東海道本線の下をくぐる。ちょうど東海道線の普通電車が走って来て、怖くなるくらいに大きな音がする。ホットモットには誰も先客がいなかった。

違う道筋で帰る。

子供の頃に翌日は雨の予報が出ていた遠足前夜に母と一緒にテルテル坊主を作って下げたら、本当に雨が降らずに晴れたことがあった。たまたまそういうことが一回あるとそのことをよく覚えているだけなのかもしれないが、そんな風に冷静に分析するよりも「小さな頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれた」という感じに共感する(ユーミンはこの歌詞を上手く書いたものだ)。まるで、スマホやらAIやらいろんなセンサーやらが発達して、正確な雨雲予想が出来るようになったから、天気(の神様)がそれに即してお行儀よくしか変わらなくなったというような感じがする。あるいはそこまで天気予報が精度を上げたからそれに対抗するかのようにゲリラ的な天気の急変が起きるようになったんじゃないのかな。もちろん科学的とか理論的にはそんなことではないわけだけど、だけどそうじゃないか?と思うことが大事なんじゃないのかな。

今日は朝からひどい肩こりが起きていた。寝違えたのかもしれない。昨晩、寝っ転がりながら文庫本を読んだからか。仰向けに寝て本を読むと、手を上に伸ばしているから肩や首にはよくないだろう。読んでるのは中村好文の建築エッセイです。

 

揚げたてのチキンカツ

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十年かもっと前、この写真の家のあたりには少年野球が出来るくらいの高いフェンスで囲まれた野球広場があったと思うが、毎日とは言わないものの月に一度か二度、その前を通っていたとしても、取り壊されてしまえば、もう不確かな記憶にすぎない。いや、もっと若い頃に見ていた広場だったなら、取り壊されたあとにもずっと鮮明に覚えているのかもしれない。新しく分譲された家に住んでいる人は、自分の家のある場所にむかし野球広場があったことなど知らないのかもしれない。

夕方、テレワークのあとに市役所に用事があり歩いて行ってみる。多くの来庁客がいてちょっとコロナが不安になる。用事が終わってから茅ヶ崎駅ビルの総菜売り場に行く。揚げたてですよ!という声に引きずられ、チキンカツを一枚。緑色のマイバッグのなかに白い揚げ物用の紙でくるんだチキンカツを入れて、それを手にぶら下げて歩く。まだ熱いチキンカツだが、足に当たって熱が感じられたり、湯気が手に感じられたりするわけもなく、自分の持っているものが熱いことは体感できていないけれど、そういう事実を知っているから、なんとなく暖かい気分になっている。いやなに、そのカツにウスターソースをかけて食べたいと言う気持ちのせいで嬉しくなっているだけかな。人の気持ちはすっごく複雑で、すっごく気まぐれで、すっごく単純ですね。底流のところが単純であることが、きっといいのだろう。そう思うな。一途な感じ。

ジム・ホールというジャズギタリストはもう他界してしまったけれど、二度、そのライブを見ました。最初は1990年代前半だったのかNYに出張で行ったときに現地の関連会社駐在員の方におねだりしてブルー・ノートに連れて行ってもらった。出演していたのが、ジム・ホールとピアノのジョージ・シアリングのデュオだった。同じ出張のときにスイート・ベイジルにも行った。ロン・カーターが出ていた。2005年かもう数年あとか、今度は六本木のビルボードライブでジム・ホールを見た。二階の遠くの席で、ジムのギターの音は思ったより小さく繊細で、もしかしたらエアコンも動いていたのかな、それで音が消されて聞きずらかった。ジムは、ステージの途中だったか最後だったかに少し話しをした。英語だったからちゃんと聞き取れるわけないのに、なんでだろう、彼が「私はもう年老いてしまったけれど、これからの世の中がみんなにとって幸せであるとうれしいよ」というようなことを言った。いや、だから・・・聞き取れるわけないから、表情や、わずかに聞き取れたひとつかふたつの単語から、勝手にそう言ったと思い込んでいるだけなのかもしれない。

ジム・ホールの音楽。最初は二十歳の頃に、レコード盤でアンダー・カレントをよく聞いていた。例えば上の方の文章で「底流」という単語を使ったが、この単語が浮かぶときにはかならずアンダー・カレントのジャケット写真が思い浮かんでしまう。しかし、私がいちばん好きなアルバムは、1979年だったかのスイート・ベイジルのライブ盤の「ジム・ホール&レッド・ミッチェル」というレコードだった。アーティストハウスというレーベルだったかな。このレコードにはA面にフライ・ミー・トゥー・ザ・ムーンが入っていてこれが好きだった。これだけどんなアルバムでもCDになっているご時世なのに、そしてこの頃のレッド・ミッチェルとジム・ホールの別の日のライブ音源はCDになっているのに、この大好きなアルバムはCDにならない。だいぶ前、どうしても聞きたくて(自分の愛聴盤は紛失してしまったので)中古レコードを購入したけれど、あまりに盤がすり減っていて、その手に入れた中古レコードはほとんど聞かなかった。いまはプレイヤーは持っているがちゃんと動くのかな?今度はレコードがあってもプレイヤーが心もとない。二日くらい前になんとなくアマゾンでジム・ホールのCDを検索していた。けっこう持っているアルバムがあるが、持っていないものも多い。そんななかにトロンボーンボブ・ブルックマイヤージム・ホールのデュオのライブ盤、1979年の演奏、があることに気が付いた。アマゾンで買ってみた。夜、チキンカツを食べたあとに、部屋の灯りを消して枕元の読書灯だけにして、届いたCDを聞きながら本を読んだ。途中眠ってしまい、起きたら収録されている最後の曲「セント・トーマス」になっていた。トロンボーンの音は丸くてふくよかで温かい。ピンクの芙蓉の花のようだな。あるいは五月のさわやかな風が吹き抜ける突堤で白波が立っている海を眺めているようだな。(わけのわからない比喩ですね・・・)

私は中学生のとき、ブラスバンド部だった。メロホンというホルンの簡易版のような楽器担当で「あと打ち」ばかり吹かされていた。行進曲のリズム隊的な役割ばかり。トロンボーンの山本くんと山口くんは大きな音を出してがんばっていたが、上手に吹くことができる山本くんの欠点はどんどんテンポが早くなってしまうことだった。たしかクワイ河マーチでトロンボーンが旋律をとるところで山本くんがどんどんテンポを速くしてしまうから、そのあとのクラリネットがメインに出るパートで、クラリネットのくせ毛の内田くんが指をめちゃくちゃ早く動かさなくてはならなくなり泣きそうになっていた。市内に七つくらい市立中学があったかしら、いや十くらいかな。テンポがどんどん速くなるクワイ河マーチでも、わが中学のブラスバンド部は秋の市の吹奏楽部演奏大会で3位くらいにはなっていたかしら。

ボブ・ブルックマイヤーの吹くイン・ア・センチメンタル・ムードが良いですね。

あ、チキンカツはもちろん美味しかった。

 

 

 

西日の時刻

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1月2日のブログにも昭和10年代に撮られた叔父と叔母の子供の頃の写真を載せた。これも従姉妹から譲られた箱の中に入っていたセミ版のフイルム(一コマづつカットされている)にあった写真。雨が続いているので、午前のうちは、箱の中のネガをホワイトスクリーン上に置いて、マクロレンズで接写を行った。2日のブログに書いたのは、同じような好天でもリアルな好天のある日よりも写真に残っている過去の好天の日に強烈に憧れる気持ちが生まれるといったようなことだった。それは好天というものを自分のなかで理想的な好天に消化していて、それがそこにあるように思ってしまうのかもしれないな。この写真は好天ではなくて西日と思われる斜光線が写っている、そのなかで少女はお気に入りのお人形を手にして、少しはにかんで写っている。ピントがぼけている。写真の右側の部屋の奥のガラス戸?に合っているようだ。カメラマンは西日の当たった襖の前であれば、まだ露出アンダーにはならずかつ手振れもしないでぎりぎり写真が撮れると思ったのかもしれない。そこでこの場所に座るように言ったのかもしれない。あるいは少女がもともとこのわずかに残った光の「溜り場」に移動をして一人で人形遊びをしていたかな。そういえば、このフイルムが届いたのは数年前だけれど、二十年かもっと以前に、同じ父の実家から古いカメラをもらったことがあった。折りたたむと煙草箱を一回り大きくしたくらいの直方体になり、使うときはボタンを押すと直方体の一つの面が開いて蛇腹の先についたレンズがぐっと伸びる。そういうセミ版のカメラだった。そのカメラをクラシックカメラの専門家のような知人に見てもらったら、1930年代のドイツ製のカメラで、とくに有名なものではなく、当時たくさんあった一般用の安価なカメラのひとつ、とのことだった。そのカメラのことをずっと忘れていて、ネガを受け取ったときにも紐づけては思い出さなかったけれど、そうか、あのカメラで撮った写真だったのかな。と、今晩になり思い出した。
この年齢になっても恥ずかしながら間違って覚えていたことに気が付いたり、知らないことに出会ったりする。例えば「歯に衣きせぬ」と言う言葉がある。今日テレビのニュースでアメリカの有名なメディアのコメンテイター(今風に言うと?)というかニュースキャスター(今風に言うと?)というか司会者のレジェンドのような方が90歳くらいって報道されていただろうか、亡くなったということが取り上げられていた。そしてその方がクリントン大統領に話を聞いているような場面の写真とともに、アナウンサーが「はにきぬをきせぬ物言いで人気を博した」みたいなことを言った。私は長年間違って読んでいて「はにころもをきせぬ」だと思っていたし、そこになぜか疑いがなかったので、アナウンサーが間違って原稿を読んだとさえ思ったのが、調べると私がずーっとずっと間違っていたのだった。

それから日本語の孤独にあたる英語に「ロンリネス」と「ソリチュード」があってニュアンスが違うってことを最近とあるところで読んで知った。私はそもそも「ソリチュード」という英単語を知らなかったのである。

調べると、ロンリネスはこうこうで、ソリチュードはこう、と説明が書いてあるが、それもちゃちゃっと引用すると誤っているかもしれない。

西日がもうすぐ沈んで夜になる。最後の明るさのなか、陽だまりの場所を求めて少女は廊下に出て、ひとしきり大好きな人形に語りかけて一人で遊んだ。少女は一人で遊ぶそんな時間が好きだし楽しい。それを見ているカメラマンはそんな少女が痛々しく見えてしまう。というような場面を想像したときに少女の気持ちとカメラマンの気持ちにずれがあって、どっちかがソリチュードなのだろうか。

予定通り、土曜日曜はずっと家にいた。日曜の午後からは雨が止んだけれど、近所のテイクアウトパスタの店まで歩いて行って、旬の根菜のトマトパスタを買って来た、それだけが外出だった。

 

冬にしては暖かい夜だった

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テレワークだと平日に仕事をしているときも、休日に読書や昼寝をしているときも、同じ自室にいるので、平日と休日のメリハリがなくなってしまうかと思いきやそうでもなくて、17:00頃に仕事を切り上げると、さぁこれで土日に休めるぞ、と、ほっとした。しかし土曜と日曜は天気が崩れるらしく、どうやらずっと部屋にいることになりそうだ。そこで、本日、金曜の夜に8:00頃からカメラを持って外に出る。夜景を撮るのは、最近購入した最新のフルサイズミラーレスカメラがノイズも少なく手振れ補正も抜群でAFも暗くてもばっちり合うので失敗なく撮れるのだが、だからそれを持っていこう!とならないときもあって、それはやっぱり散歩に期待する気軽さにマッチしているってことだろうか、今日はより小さなAPS-Cサイズセンサーのカメラにフルサイズだと40mmくらいになるのかしら、28mmのレンズをくっつけて出かけた。9000歩。

最後にコンビニに立ち寄ってみる。コンビニの入り口あたりでスマホを操作している人が何人か立っている。よくわからないな。ゲームの関係なのだろうか。

なんだかこれ以上書くことが思い浮かばない。まぁ、そんな日もあるだろう。明日明後日は寒くなるらしいがなんだか今晩は暖かかった。

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片隅の植物

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日没前の西日が川沿いの散歩道と住宅地に降りていく細い小道のあいだにある植え込みの植物を強烈に照らしていた。こういう場所の植え込みの管理をしているのも茅ヶ崎市なんだろう、枯れた雑草が刈られた直後のようです。スポットライトを浴びているみたいで、その辺の当たり前にあるありふれた植え込みが美しい。カワラヒワとすずめとシジュウカラが鳴きかわしては飛んで行く。

写真評論家の某氏がだいぶ前のカメラ雑誌に、ダメなスナップ写真は「写真の意味がひたすら外の文脈に依存している」写真であって、例えば被写体が「殺人犯」「撮影翌日に死んだ」とか「この場所は放射能に汚染されている」「犯行現場である」とか「カメラマンが殺された」とかである、と書いている。そして次にダメな写真は「プロのテクニックによる写真美がビシッと決まっていて、同じ写真が簡単に撮れそうで実は撮れないということを再確認するだけの写真」とも書いている。そしていいスナップ写真は「誰でも撮れるのに誰も撮っていない写真」だと言う。写真ではなくスナップ写真と言っているところになにか意味があるのかはわからない。これだけ読むと、米田知子とか藤原新也は、この評論家からは全否定されているように思えるが・・・。いや、スナップと限定しているなかでの話なのかな。もうそのカメラ雑誌は手元にないので読み返すことはできない。上記の部分だけ気になったのでメモってあった。

写真を撮りたくなるその場所の「条件」ってなにだろうか?この上の写真だって、西日に照らされるという、この植物群の一日の中では一番「際立つ」時間にここを通りかかったから撮ったのではないか。結局この評論家の言うような文脈に属さない「その辺」ではあっても、「次にだめ」な写真美というところには、テクニックには寄らずにただのプログラムモードだけれど、過去の写真に汚染(でいいのか?)されていてサムネイル参照のように撮るべきところが縛られているかもしれないことと、結局は西日が当たっているありふれた場所なりの決定的瞬間を撮っていることと、そう思うと、誰でも撮れるのに撮らない場所を撮ったとは違うのだろうな。やはりなんか「美」みたいなの撮ろうとしているんだと思う。そんな片隅にはないと見過ごされている美って感じ。

落語を客を笑わそうと意識せずに話すことで一番の笑いが得られる、小説を書くのでなく登場人物が動き出してそれに引っ張られて書かされる、絵をなにかに描かされているように筆が勝手に動く、とそれぞれのプロの方がそういうことをよく言っているのを聞いたり読んだりすることがある。写真を撮ることにおいて、そういう撮り方ってあるのだろうか?

グーグルストリートビューを作るために車の屋根に括り付けられてストリートを撮っていく自動カメラが一番の達人なのかもしれない。そうだとすると、一番のカメラマンはグーグルの車を運転している運転手だろう。そしてそこから乱数表的に選ばれた何時何分何秒かに記録された写真がいちばんいい写真なのだろうか。それが世界を一番現わしているということを否定できない。

 




不意の電気機関車

 

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 ティルマンスの「コンコルド」という小ぶりの写真集を持っている。ときどきページをめくると大好きなコンコルドが「生活のなかで」ありふれた健在で空を横切ると、おっっと思って親しみと愛情を持ってあわててカメラを向けて写真を撮った。そんな風に撮りためた写真で出来ているように思える。実際にはわからないけど。最近おソラミちゃんと呼ばれる女性の飛行機カメラマンたちの師となっている、例えば満月の中を飛んで行く旅客機を見事にとらえるような技を持つ有名な飛行機カメラマンがコンコルドを撮ったら、ティルマンスのような写真にはならずにもっと超望遠効果なども生かして撮るのだろう。ティルマンスコンコルドの写真集を捲ると上記のような「憧れの心」を思い出す。
と自分でそう解釈していたコンコルドを撮ったときのティルマンスの(たぶんそういう)
気持ちを思い出しました。ふらふらと散歩をしていたら、前方の踏切が鳴り出して遮断器が下がる。たぶん東海道線の普通電車が来るのだろう、と思いながら、とくに慌てるわけでも、写真を撮るべき線路際の位置を選んでそこへ走るわけでもなく、同じ歩調で散歩を続ける。するとほとんどコンテナを載せていないコンテナ車数両を引っ張るEF65型電気機関車がやって来たのでちょっと「おっ」と思って、慌てて写真を撮った。それがこの写真です。ちょっと推定している上記のコンコルドを撮る気分と似ている気分で。慌てて撮ったので、露出はもっとずっとアンダーだったし、右側には建物の壁が写っている。そこでここへアップするにあたって、トリミングをして、トーンカーヴ補正を行いました。もしかしたらティルマンスならそんなことをしないのかもしれない。少しでもよく見せようと、私は気取っているかもしれない。

それから機関車とは全然関係ないんだけれど、、散歩しながら、習慣と感じるのはどういうときなのだろうかと考え始めました。