朝が来る

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朝、出勤のために5時台に車を運転している。いまはちょうど空が明るくなってくる時刻に当たっている。6時半から7時のあいだに仕事をはじめて、その後に会議予定がなければ、16時頃に仕事を切り上げて会社を出る。すると今度は西日が眩しい時刻になっている。居室は11階にある。上がってくる朝日に染められた雲をバックに東京のビルがシルエットになって見える。運転をしているときには前の晩に部屋のCDの棚から三枚か四枚選んだCDを聞いていくが、ときどきラジオを聴くこともある。でも今日のラジオでなにを聴いたのかはこれまた覚えてない。ただ、聴取者の投稿した文章に二度か三度(違う聴取者からの投稿なのに)「ほっこり」という単語が出てきたのは覚えている。

あんまり好きな言葉ではないけど・・・むかしからあった?

 

公園

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 たしか梅園があったなと思い、横浜根岸の森林公園に行ってみる。梅は満開の木と咲きかけの木と、まだまだ蕾の木と。この場所は明治の頃だろうか、競馬場だったそうだ。競馬場のスタンド席のある建物、ここには写っていない(もっと左)けれど近代建築遺産として残っている。今年の冬は暖かい日と寒い日が順番に巡ってくる。いや、例年だってそうだろう。ただ、寒い日はとても寒いし、暖かい日はとても暖かい。だからそういう天候に意識的になっているんだろう。私のような一人でカメラをぶら下げて歩いているおっさんは、ここに写っているほとんど全部の方が小さな子供を遊ばせている家族連れなので、そこには属していない。属していない私がこうしてここを撮るその気持ちはなになのか?これも結局は、自分の過去の記憶に照らし合わせている懐かしさなのだろうか。それとも写真の典型の一枚として覚えてしまっているサムネイルに合致していると思い、ここは撮るべきところだと決めて、撮っているのか。こんな平和(そう)な写真を撮ることの意味はなになのか?広い場所に人がぽつぽつとちらばって写っている写真をいいと思うのは、いつからそうなったのだろうか?なんだかなあ、撮る写真がぜんぶ浅薄な気がするな。違う撮り口を試みるようなことをずっと出来なくなっている感じがする。よくない。

とかこうして書いているが、こういう写真がいいなと思うところを覆すことはできそうもない。

夜、NHKテレビで私が高校から大学生のころに人気バンドだった「TULIP」のリーダーの財津和夫が、年齢や病と戦いながら数年ぶり?に新曲を作っていく過程を取材したドキュメンタリー番組を見る。さて、どんな曲ができるのかな?いくら頑張っても年をとってしまうと、キラッとするようなメロディを生み出すのは難しいのではないのか?と思って見ていたが、番組の最後の方で実際に歌われる新曲は、小品だろうけれどしゃれたメロディラインで、いい曲だなぁと感心したりする。TULIPの黄色い靴やセプテンバーは、さらにさかのぼるとBEATLESBlack Birdのような、洒落た曲。

でも若い頃なら、そこでいいなと思ったら自動的にそのメロディを覚えることができたのだろうけれど、いまはすぐに忘れてしまう。そう思った感想だけが宙にぼんやり浮かんだ風船のように残っていて、そう思わされた曲そのものは覚えていないのだった。

ま、そうだろう。小説だって、読み終わってすぐに、もはや具体的な物語なんて覚えていない。でも「雰囲気」は覚えている。

雰囲気という単語、以前は嫌いだったな。なんか、わけがわからなくてちゃんと把握してなくて言葉に置き換えられなくてあいまいで、実は理解できていないことをごまかすために「雰囲気があった」などというのは逃げているようなものだ、と思っていたのだった。最近は、それはとても大事なことだと思う。

昼下がりの大磯

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急ぎの仕事を片付けるべく、土曜日だけれど、朝からずっと自宅で仕事をする。昼下がり、自家用車で大磯町の港まで行き、一時間ほど写真を撮りながら散策した。帰宅してからまた仕事を続ける。夜の9時少し前にやっと予定していたところまで進んだので、そこで仕事終了する。今日は3月下旬だったか4月の気候だと言う。子供たちは縦横無尽に駆け回る。島崎藤村の墓のある地福寺の梅は、まだまだ咲いていない木と、もう満開の白梅と、もう満開の紅梅と。大きな木、濃いピンクの花が咲いているのは何だろう?河津桜だろうか。駅近くの細い路地を気の向くままに辿る。大きな土地に立派な庭を持つ屋敷が並んでいる。夜遅く、絵本作家の五味太郎さんを取材した番組を見る。

あぁそうだ、今朝起きる前に夢を見ていた。自分がいてよい場所なのに、そこをずっと行ってなくて、その場所を共有している仲間と疎遠にしていて、だからいてよくても行き難い感じ。例えばもうやめたいと思っていてずっといってない部活の部室、そこに行くときっと仲間から「おまえ、なんでずっと来なかったんだよ、ちゃんと来いよ」って言われるような憂鬱な予感。そういう感じの場所に行っている夢。それがけっして部室ではなくて、たくさんの部屋のある大きな家なのだ。下宿をしている家のようなところか。見る夢の場面は違えど、これと同じようん感覚の夢はときどき見る。焦りのような気分だった。でもその夢には続きがあって、かなり急いで私はその家のなかを通って(それでそこに行かなくてはいけなかった用事が終わった感じを持つ)外に出たのだった。そのときに手にはカメラを持っている。鉄道線路の下をくぐってから階段を上る。すると鉄道線路に長いコンテナを引っ張るディーゼル機関車がやってくる。写真を撮ろうとするが機関車はどんどん遠ざかってしまった。それでも、画面の中で小さくなった機関車を一枚写真に撮った。

緊急事態宣言は2/7に解除にはならずにもうひと月延長されている。いろいろな数字を見ると、当然の判断だろう。そりゃそうだ、と思うが。このひと月に進むだろう季節の変化のいちいちを見過ごさずにいられるだろうか?と不安になる・・・というかそれに気づいてがっかりする。いや、緊急事態宣言とは関係なく、そういうことをちゃんと見るか、見過ごすかは、自分の心構えの問題だ。緊急事態宣言の憂鬱がだんだんと溜まって、滞留して、心を腐らせる感じ。そうなると無気力になり、季節も見えなくなりそうだった。だけどこうして妙に暖かい明るい日が来ると、だいじょうぶな気もした。

ちゃんと季節が見えるようにしっかりしましょう。

こう書いて、ふと、「季節に敏感でいたい」という歌詞のある曲があったことを思い出す。調べてみたら、そうだよ、くるりの「東京」だった。若い岸田さんがこの歌詞を書いたときの真意はわからないけれど、そうだよな、季節に敏感でいたい。誰かの力を借りながらでも。

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春一番

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春一番が吹いた。例年よりだいぶ早いらしい。そこで、テレワークの業後に、いつものウォーキングではなく、自家用車で相模湾が広く見渡せる平塚市と大磯町のあいだあたりにある丘陵のてっぺんの公園、通称「湘南平」まで登ってみる。暖かいのだと思っていたが、強い風が斜面に沿って噴き上げてきて、指も耳もあっというまにかじかんでしまった。湘南平から海を撮るときは、テレビ電波塔の、自由に登れる展望廊下のようなところから撮ることが多い。ほかにもレストランの入っている展望台もある。テレビ塔は東を、展望台は南と西を見るのに都合がよい。テレビ塔から東を見ると、結局その位置だけからしか見渡せない相模湾はいつでもこの写真のような感じにしか撮れない。あとはもっと望遠にしたりもっと広角にしたりだ。写真の上の方にかすんで見える町は相模湾をはさんで三浦半島の西海岸。写真の下の方に写っている海にそそぐ川は金目川もしくは花水川とも呼ばれる川だ。高校生まではこの写真に写っていないもう少し左側の街区に住んでいた。そしてこの金目川の河口付近でよく投げ釣りをした。あるいはカメラを持って行って夕焼け空を写真に撮ったりした。夕暮れの空を背景にしてシルエットになったサーファーを撮ったりもした。金目川には牛蛙が生息していてその鳴き声が聞こえたものだ。写っている橋より一本上流の橋はいまは車が通る片側一車線の市道になっているが、その頃は人専用の木橋だった。という風に「こうだった」「ああだった」と思い出していると、ほとんどの場所がなんらか変化しているのだと気づく。それなのに、こうして高いところから町を見ていると、そういうひとつひとつは結局のところどうでもよくて、実は大して変わっていない、もっと言ってしまえば、なにも変わっていない、とさえ思えたりもするのだった。スパイダースの「夕陽が泣いている」とか、安田南の歌う「赤とんぼ」とか、そんな曲のメロディが頭の中によみがえる。

なんだかおセンチになったので、良くないな。坂道を安全運転で下って行きましょう。するとおセンチがだんだん消えて行く。

 

川沿いの道

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今日も近所を歩く。近所でも新しい発見がたくさんあるじゃん!と思うことも、もうない。コロナ禍になり、テレワークになり、就業後に歩きはじめた当初は、たくさんあるじゃん!と思っていた。最近はちょっと飽きてしまっている。体を動かさないと健康に悪いよなぁという気持ちだけが歩く意味になりつつある。気分が高揚しない。新しい発見がないなら新しい道筋を試せばいいけれど、結局わかっている範囲で、道を組み合わせて、家を出て家に戻る。このまえテレビで見たヘラクレスカブトムシにGPS発信機をつけて調べた行動範囲内の移動軌跡と、例えばグーグルマップ上に私がウォーキングする道筋を記録した移動軌跡とを並べ、背景の森の地図とか茅ケ崎の地図を消し去ってしまって、移動軌跡の「線画」だけを示すと、似たようなものじゃないかな。でもふと感じることや、見つけることもある。たとえば暗くなるのが少しだけ遅くなったと感じる。ちょっと調べたら12月上旬と比べると日の入り時間はもう40分も遅くなっているのだった。この川沿いには梅の木が植えられている。紅梅が多い。白梅もある。その花が満開になっている木もあった。薄暮のなか立ち止まって花を見上げる。この写真にも右端になんとか見分けられるように写っている赤い橋があるが、川沿いに歩いて行って、この橋の道を橋を渡る方ではなく左に曲がる。しばらく行くとパン屋がある。夕方には売り切れていることが多い食パンがあったので、明日の朝、トーストにして食べようと思い立ち、買う。そうそう、今日は途中でちょっと走ってみた。200歩歩くのとたいして変わらない速さで走る。そこで歩きに戻してしばらく行く。また200歩走ってみる。そんな感じだ。

帰宅して歩きながら撮った約100枚の写真を取り込んだら、なんだか全体にフレアっぽい。レンズを見たら前玉がべとべとに脂っぽく汚れている。もしかしたらアルコールスプレーの飛沫を何度も浴びたのかな。そこでレンズをクロスで拭きました。きれいになりました。

そうか、これはなにかの朗報を待っているような、気分。

真昼に

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いつも夜に歩くことが多い、自宅から北方面への散歩コースを今日は正午頃に歩いてみる。暗いときに感じることと明るいときに感じることはもちろん違うだろう。暗いときに撮りたくなる場所と、明るいときに撮りたくなる場所は違うだろう。違って当たり前だと思う。

ところが実際に歩き出すと、撮る場所がそれほどは違わない。これはどういうことなんだろうか。全体の光や影や雰囲気よりも、結局はそこにある具体的な被写体に対して、それが夜だろうが昼だろうが、惹かれるということがあるに違いない。

歩いていると、戸建ての住宅の庭や、農家の方の大きな家の庭に、かんきつ類が生っているのをたくさん見かける。夏ミカンのような大きな実もある。柚子もある。金柑もみかける。なんと檸檬もあった。

小学生のころ群馬県前橋市に住んでいた母方の祖父母の家に夏休みに遊びに行くのは楽しみだった。暗くなってから暗い道を歩いて果物屋に行くと、そこだけ明るい店先にさまざまな柑橘類が並んでいた・・・という記憶があるが、多くの柑橘類は冬が旬だろうからこの記憶はなにか混同があるのではないか。なので夏ではなかったかもしれない。冬休みや春休みだったのか。そこにさまざまな柑橘類が売っていて、祖母から、ざぼん、甘夏、ネーブル、オレンジ、などという名前を教わった。教わったあとは「蜜柑」は「普通の蜜柑」になった。

私の子供が小さいときにウルトラマンに夢中になってビニール人形をたくさん買ったものだ。ウルトラセブン・・・みなウルトラなんちゃらっていう名前だ。子供は初代のウルトラマンを「普通のウルトラマン」と呼んでいたな。

 

初春とは

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午後、下着の綿シャツの上にネルのBDシャツを、さらにウールの茶色いカーディガンを着てから、今日は暖かいからと、いつものダウンジャンパーではなく黄土色のフリースの薄手のジャンパーを羽織り、散歩に出たが、そんなことは子供の頃から知っている筈なのだが湘南地方のこういう快晴の冬の日差しは強くて、すぐに汗ばんでくる。近くの小出川沿いの遊歩道を国道一号線の方へ歩いて行く。コサギゴイサギがじっと獲物が寄るのを待っているのか、立っている。流れの両側の枯れたすすきやそのほかの植物の中を群れとなったカワラヒワシジュウカラジョウビタキが鳴きかわしながらやってきては去っていく。小鳥の群れは耳を澄まし目を凝らさないと見つけられない。そこでたびたび立ち止まっては川原の枯野を見つめる。流れのなかにはいつもの通りオオバンが泳いでいる。すると小さなすばしこい鳥が視界を左から右へ横切り、少し上流の枯れすすきの枝にひょいと止まった。カワセミだった。滅多に見かけないが、それでも、過去に何度か、その瑠璃色の鮮やかな塊(かたまりという感じなのです)に気付いたことがある。そうか、まだまだこの川に君たちは暮らしていたんだな、と思う。カワセミが来る池とか淀みとかであれば、カワセミは「そのあたり」に居続けるのだろうから、超望遠レンズの放列も並ぶそうだが、小出川カワセミは「必ず見つかる」わけではないし、流れに沿って縦横無尽に数百メートルの範囲を行き来して、すぐに見失う。そういう理由なのだろう超望遠レンズを構えている人など見かけたこともない。真っ白いコサギも、黄色のカワラヒワもきれいだけれど、それにしてもこの小さな鳥はなんでこんな鮮やかな瑠璃色になったのだろう。獲物である魚から見ると、そこにカワセミが来たことが判りにくいってことなのかな?今日もカワセミはすぐに飛び去り、どこかへ行ってしまった。

上の写真のような空地(あきち)と呼ぶのかしら。「雑草を繁るに任せて放置された住宅街のなかに残された空地」ということになる。冬だけがこんな風に明るく広く見渡せるのだろう。春から秋のあいだはすっかり雑草の緑に覆われていたのだろう。近所なのにほかの季節のこの場所の光景なんか覚えていないものだ。こういう植物だらけの空き地のほかに、子供のころは広っぱや原っぱがあったものだ。シロツメクサが一面に生えていたり、土がむき出しだったり。そしてそういう場所は子供たちの遊び場であり探検の場であり虫採りの場だった。昆虫の絵を描いて2016年に98歳だったかでお亡くなりになった熊田千佳慕さん。1990年代に小泉今日子が持っていた深夜番組で、小泉さんが熊田さんを訪ねて一緒に冬の公園を歩いて、虫を探す場面があった。仮に1990年だったとすると熊田さんは80歳代前半だったのかな、冬の公園でいきなりうつぶせに寝転がって、地面を観察していらっしゃった。それもとても楽しそうに。ここに分け入って熊田さんのように寝転がれば、きっといろんな発見があるのだろう。啓蟄は3月5日とまだまだ先だけれど、今日のような日にはすでに虫たちも春が近いことを感じているだろう。

歩きながら初春というのはいつなのだろうと思う。私は、春は3月から5月、夏は6~8月、秋が9から11で、冬は12月から2月、と覚えている。たぶん子供の頃に母がそう私に教えたのだろう。なのでこういう言葉による分類によれば今日はまだ1月だから冬なのだが、春だなぁと思うのだった。初春はいつか、とスマホで調べてみる。なんだか無粋な行為だな、とは思う。最初に出てきた解説によると1月末からとあった。次のページには2月からとあった。本当はいつでもいいのだろう。感じたときが初春ってことにすれば今日が私の初春なのだ。

ずっと歩いて行く。相模川の河口にはそれこそ超望遠レンズを付けたカメラを三脚に載せたカメラマンが四人か五人、並んでいた。でもなにを撮ろうとしているのかはわからない。河口から海沿いの遊歩道(サイクリング道路)を東へ、茅ヶ崎港の方へ歩いていくと途中から通行止めになった。遊歩道の下の砂浜が波でどんどん浸食されていていまにも崩れそうな場所が出来てしまったのだろう。その区間は砂浜を歩く。波が足元近くまで寄せてくる。茅ヶ崎の砂浜は、流されてしまう砂を埋め合わせるべくどこかからトラックで砂(土?)を運んできて足しているが、穴のあいたボートのなかで必死に水を掻き出しているいるむなしい行為みたいだ。あるいは潮の流れをコントロールして砂浜が減少しないように茅ヶ崎ヘッドランドビーチでは人工の突堤を作って波の動きをコントロールしている。下の写真は相模湾河口近くのあたりだけど、このシルエットになって人が遊んでいる場所もそういう砂流失防止工事を一生懸命やっているのではないか。そもそもは相模湾に流れ込むこのあたりだと相模川だろうか、その護岸が整備された結果、海に流れ込む砂が減り、砂の補給サイクルが断たれているのが砂浜が狭くなる原因だと聞いたことがあるが本当だろうか。相模川の河口にはむかしは干潟が広くあって、鴫などの鳥がたくさん集まる場所だったそうだが、いまはそんなこともなさそうだ。

茅ケ崎港まで歩いてきた。いつ以来?今年になって一回か二回は散歩の仮目的地としてやってきたと思うのだが、そのときはなにも始まっていなかったのに、大規模工事が始まっていて驚いた。上の写真もそうだが、なにか人の具体的な「便利」のためには活用されていなかった、遊歩道と船溜まりのあいだにあった水たまりができる未舗装の道や、その両側の草が生える放題になっていたそれこそ「原っぱ」的なところに、大型トラックやショベルカーが動き回っている。建築計画を見たら、きれいな舗装された駐車場ができるらしい。大磯の港みたいになってしまうのかな。

人の「便利」のための目的を持って「便利」には使われていないこうした空地や荒れ地や原っぱや広っぱは、言葉で言える「便利」の理屈付けが難しい。そういう場所にあった「子供の冒険の場」という「便利」と言うのか「役割」は大人の経済活動のなかでは無視される。そういう「役割」ならば安全のために設計制御された公園を作るということになってしまう。

茅ケ崎港が持っていたあのちょっとワイルドな雰囲気、廃船のなかに雑草が生えていたり、古めかしい物置小屋があったり、ちょっと盛り上がった砂の山には昼顔が咲いていたり、いつの間にか竜舌蘭が育っていたり、そういう場所は一掃されて、新しくなった数年後のここには、健康的で安全を担保されたファミリーが日帰り観光のために車でやってきては、海沿いのカフェで美味しいものを食べながら、水平線の雲や手前の「烏帽子岩」を見て、例えばその辺りに流れているサザンのメロディを聴くのだろう。

その場の全体の雰囲気、来た人々が場になにを感じるかということには、こういう無駄な空地のような場所があるかないかがとても大きなことだろう。言い換えると、これはサザンロックが似合う場所からシティポップが似合う場所になっていくような感じだ。同じ70年代のロックでもザ・バンドからボズ・スキャッグスになるような感じかしら。あるいは昭和歌謡がニューミュージックになるような。

そうなってしまえばなったで私はそれはそれで受け入れてカフェに立ち寄ったりするかもしれないし、サザンのメロディを口ずさむかもしれない。時代に抵抗して時代に馴染めなくなることがストレスになるなら、時代に迎合と言うか、ポジティブに受け入れるのが得策だろう。

いつのまにか失ってしまったものやことは、失ってしまったのだから、もう誰も思い出せない。思い出せないならば、惜しむこともない。そしてその良さも忘れられてしまう。次の良さが認識される。

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