今日は雨で


 写真は昨日、鎌倉の道沿いに実っていたムラサキシキブ

 今日は午後より雨。昨晩、某くんが写真展に来るという連絡があったので浅草橋まで行こうと思っていたが、その某くんが風邪気味で行けなくなったとのこと。私も目の周りにどんよりと疲労が漂う感アリで、写真展会場には行かず、家にいた。来ていただいた方、在廊できずすいませんでした。

 この日記には書かなかった金曜日11/21には、ともだち三人と一緒に関内のばう蔵という店でモツ鍋を食べた。そのときに映像が人間に及ぼす影響力のハナシになった。少し前、テレビの「なきうた」とかいう番組で、ユーミンの「瞳を閉じて」という曲が、離島に住む女子中学生だったかがラジオに「校歌を作って欲しい」と投稿したのにユーミンが応じたのが誕生秘話(秘話っていっても瞳を閉じてが校歌だというはなしは聞いたことがあった)が紹介された。ただ、その曲は正式に校歌にならなかったが、いまでもその島の人たちにとっては大事な歌になっていて、フェリーの出船のときには港でスピーカーから「瞳を閉じて」が流れる。その流れているところの映像がテレビに映ったのだが、最初は個人の方が8mmのフイルムカメラで撮影したらしい画質の悪い映像が、ついで最新のハイビジョンカメラで撮った映像が流れた。画質が悪いというのは「ちらちらする」「周辺光量が低い」「解像度が低い」「コントラストがない」「手振れで画像がぐらぐらする」みたいなことで、だからそれが例えば何かを正確に伝えるのが目的のニュース映像や何かのルポの映像だったなら、とても使えないような代物だろう。ところが、そういうエピソードとともに流れたときにはハイビジョンの映像よりも、8mmフイルムの不安定な映像の方がはるかにこころを揺すぶられた。
 それは何故なんだ?時間が経った映像記憶が人の脳内で再構成され続けていくうちに、そういう不安定なものになっているから、不安定な映像の方が記憶と寄り添い易いのか?
 そんなハナシをしているうちに3時間以上経っていた。でもって、モツ鍋はすごく美味しかった。

 昨日の鎌倉の写真をもう二枚(古いスキャナーで読み込んでいるのでそれこそ画質が悪い画像です)

八幡宮にて


>横の壁に私の影が写っています