カラーと白黒



 最近、十年から十五年くらい前に撮った白黒ネガをスキャンしているうちに、白黒をまた撮ろうかなとも思うが、ここ十年くらいはもうカラーしか撮っていないので、色という情報を捨てた画像データを残すことが怖い気分になる。ではデジカメのカラーで撮った画像データから、上の白黒写真みたいに、パソコン上でモードをRGBからモノクロにしていけばいいじゃないか!とも思うが、色に惹かれて撮った写真から色を抜いたら撮ったときの気持ち、あるいは意図のようなものからは離れてしまう。以前、フイルムカメラで写真を撮っていたときには、カラーフイルムが入っているか白黒フイルムが入っているかを前提としてそれぞれに応じて被写体を切り替えて写真を撮っていたのだろうか?ずっと白黒を撮っていたあとに同じような調子でカラーで撮ると、それまでは白黒に置換されていた主被写体ではないところの派手な色が邪魔で、上手く撮れないように思ったことが確かにあったように思う。ということは白黒を撮りたいと思うときにはきっぱり白黒フイルムを使うか、あるいはデジカメのモードを白黒にしていないといけないのではないか。二兎を追うもの一兎を得ずと言うではないか。と思いながら、やっぱりカラーが身にしみていると思う。もし白黒フイルムを入れていたら、上のようなところは撮らないかもしれない。きれいな水色。
 今日も暖かかった。白木蓮はもう散り始めている。

 自転車後輪のリムがゆがんで、タイヤが一回転するあいだのうち何十度かの範囲でブレーキパッドがリムにぶつかりブレーキがかかったようになる。そこで今日は、雨が上がった昼過ぎに自転車で鉄砲通りのサイクルボーイへ行き、谷さんに直してもらう。スポークの根本のナットを調整してリムの変形具合を調整してもらう。いざ直ってみたら軽快軽快。

 そのあと開高健記念館に行き「自筆原稿展」をじっくり見る。前に来たときにはあまりゆっくり見ることが出来なかった。展示されている原稿は小説やエッセイの一部分であるのに、その断片だけでも、もしかしたら小説やエッセイの全体を読むよりずっと、書かれていることがすっと入ってくる。

 そのあと茅ヶ崎駅南口近くのカフェ「サウザリー」で珈琲を飲む。飲みながら、最近アマゾンの古本で購入した飯沢耕太郎著「私写真論」の中平卓馬の章を半分くらいまで読む。
 さらに、近くの「ほづみ書店」の三冊100円の棚から犬養道子「マーチン街日記」と室生犀星「随筆女ひと」と村松友視「七人のトーゴー」を購入。

私写真論

私写真論