駅前広場


 午後、宇都宮から茅ヶ崎まで電車で移動。土曜日はグリーン券が平日より安い750円だということもあり、延々3時間をグリーン車に乗ってくる。数年前、電車に乗って、駅に止まるたびに自分の座った席から見える光景を構図を作ったりせずにただ偶然だけに作画を委ねて撮る、なんてことを試したりしていた。でも結局は、その偶然に窓外に現れた光景が「写真的」であるかどうかに縛られていて、「写真的」だったときだけ撮っていたに過ぎなかったような(じゃあ意味ないじゃ〜ん)。
 さて、これはどこの駅だったろうか?白岡とか新白岡とか蓮田とかそのあたりだったかな。水色のマーチが偶然そこに来て、新緑の栃の樹があって、だから撮りました。委ねたわけではなく、それなりにどこを「切り取る」かを考えて。

 iPODで音楽を聴きながら外を眺める。そのうちに、選んだアルバムを通して聞くことをせず、一曲づつ選んでは聴き、また選んで一曲を聴き、更にまた一曲を・・・という「せわしない」聴きかた。だんだん、懐かしい曲になって行き、ふたたび最近知った曲に戻る。佐野元春「グッバイからはじめよう」、南佳孝「ソバカスのある少女」、竹内まりや「ジャスト・フレンド」、吉田拓郎「流星」「春を待つ手紙」、はっぴぃえんど「花いちもんめ」、センチメンタル・シティ・ロマンス「うちわもめ」、くるり「Super star」、FISHMANS「ヒコーキ」、さかな「知識の樹」。
 竹内まりやは「旅の重さ知れば知るほど帰れなくなる気持ちは判る」と歌う。あるいは「たとえ翼持ってなくても、生きてることは旅なのだから」とも。竹内まりやの1枚目のアルバムはバック演奏がセンチメンタル・シティ・ロマンスで、私はそれが理由でこのアルバムに思い入れが強い。ちょうどこのLPが出たころに大学で卒論を書いていて、一緒に卒論に取り組んだK村くんと二人で、暗室で卒論に使う写真(試験片とか試験装置とかの写真)をプリントしながらこのアルバムの曲をカセットで流しながら一緒に歌ったものだった。
 吉田拓郎は「春を待つ手紙」で「誰もが誰かを恋しているんだね、それはあてのない遥かな旅なんだね、旅する人には人生の文字が似合うけど、人生だからこそ一人になるんだね」と歌う。 
 みんな「旅」「旅」って言うなあ。
 数年前まで自分の撮っているスナップシリーズに「旅の気持ち」というタイトルをつけていた。天邪鬼な反応だろうけど、最近は「旅」という単語を封印したい気分。人生とか時間とかを旅に例えることなんて、なんだか常套手段になりすぎていて、結局その本質が抜け落ちて雰囲気だけが一人歩きしているのではないか、ということを考えているのか。しかし、ここにこう書くこと自体、みっともない。

 そのうちに選曲は洋楽に移って行き、家に着くときにはストーンズの「ダイスをころがせ」を聞いていました。

 今日は清志郎の告別式だったそうだ。夜になって、電車の窓からは、ジンライムのようではない(いや、ジンライムのような)、満月が見えた。