午前の光


 そういえば、25日に楽美術館に行ったときには、企画展「樂吉左衛門還暦記念展」の後半「個展「天問」以後今日まで」を開催中だった。
 樂焼がなんたるかなどまるで無知で、この十五代目の樂家の作陶家のことも何も知らず、ただ近くを通ったから入ってみた、というだけのことだった。無知で申し訳ありません。
 だけど、初めての私にとっても、とても面白かった。
 作品の一つ一つにご本人の解説文(その作品を作った背景や想い)が添えられている。それを読んでいると、いかに新しいものを得るかという執念が垣間見えたようだった。そして、規律と挑戦の綱引き、規律を守る前提でそこを踏まえての次の新しい段階へどう挑むかの、揺れる悩みが書き綴られているところもあった。
 そんな文章を読んでいたから、ただの素人アマチュアカメラマンの私ですら生意気にも、何故ここを写真を撮るのか?何故この写真を選ぶのか?という、ありきたりで稚拙な悩みに「またもや」捕らわれたってことなのかもしれないな。

 それでもこうして写真を撮って、こうして写真を選んで載せている。

 27日。午前、また高瀬川河原町あたりの繁華街の、今度は「朝」をスナップして歩く。次々と、自分の中に類型化出来ている被写体として選ばれる光景に合致したところを写真に収めていくのだが、そういう繰り返し行為の先に、類型が増えていったり派生していったり変化していったりすることが、実際には起きている(と信じたい)。
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