1977


 1977年頃には、まだタワーレコードみたいな大型輸入盤レコード店はなかったと思う。それでも国内盤未発売のレコードを手に入れたくて、あるいは安価に欲しいLPを買いたくて、電車に乗って湘南地区から都内まで出かけて行った。輸入盤レコード店の広告は、例えばニュー・ミュージック・マガジンみたいな雑誌に載っていたので、そんなところから情報を仕入れた。一番頻繁に(とは言っても、それは一つの季節に一回くらいの上京だったから一大イベントでもあった)行ったのは渋谷のシスコという店だった。欲しいLPレコードを何枚かリストアップしてからシスコに行くのだが、いざ店に着くと、いまで言えば本屋のポップみたいに手書きの「ひと言販促コメント」が書かれたカードなんかが壁に貼ってあり、その結果、例えば4枚のLPを買ったとすると、2枚はリストアップした中から、残り2枚はそういうポップに誘導されたり、あるいはジャケ買いをしていた。ジャケ買いしたアルバムで、結果として愛聴盤になったレコードは、リストアップして買ったものより印象に強かったりする。ハモニカトゥーツ・シールマンスと、ピアノにはジョアン・ブラッキーンが参加しているアルバムはよく聴いた。酒と薔薇の日々、とかが入っていた。
 その頃、ラジオの深夜放送の第二部(3時-5時)では、例えばいまほど有名になる前の山下達郎なんかがDJをしていて、CSNYとかビーチボーイズなんかがよく流れていた。そんなことからビーチボーイズのLPを、一緒にシスコに行った友人と二人で分担して買ったこともあった。輸入盤の安価なレコードって、通常の国内盤よりレコードの厚さがあったような気がする。レコードの偏心が多くてプレイヤーのアームが随分とうねった。梱包するときに出るのか、藁みたいなゴミが付いているときもあった。でも藁なんか付かないと思うからジャケットの厚紙のカスだったのかな。いまも持っているビーチボーイズのLP「サーファー・ガール」は特別に分厚いレコードで、重かった。
 あのころからしばらくサーフィンは若い人にブームとなった新しいスポーツだった。たぶんその頃にサーフィンを始めた(当時の若者の)今のおじさん達が、今でも休日の湘南海岸で大勢サーフィンをしている。
 私はサーフィンなんかやらなかった。スポーツはずっと苦手でいまも苦手なまま。

 シスコでは買ったLPを、記憶が正しければ、下地もしくはロゴの字の色が臙脂色のビニール袋に入れてくれた。湘南の町に戻って、友人の家に行くときや買い物に行くとき、財布やハンカチをその袋に入れて出かけたりしていた。誰もそんなもの見てなかったに違いないのだが、要するにかっこつけていたのだ。そうそう、その袋にはインポート・レコードと(カタカナではなくてアルファベットで)書いてあった。インポーテッド・レコードだったかも。

 たまにそんな風に都内に出かけて行ったけど、あとはそうして買ってきたLPを聴いたり、本を読んだり、フォークギターを弾いて歌を歌ったり、湘南海岸に投げ釣りに行ったりして過ごしていた。学生時代の夏休みとか、そういう長い休みでの話です。
 ある夕方、投げ釣りをしていたらみるみる上空が黒い雲に覆われた。雷雲で、私の(当時の)さらさらだった細い髪の毛が静電気で持ち上がったりして、それを見た友人が笑った。近所の元漁師だったという老人が釣りをしている私のところにやって来て「今日はUFOは出ましたか?」と聞いてきたことがあって、驚いた。それ以来ときどき空を見上げるようになったが、結局私はUFOを見なかった。
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サーファー・ガール

サーファー・ガール