1977年、ノートに書いてあった南極の氷のこと

 写真は昨日、大船フラワーセンターで撮ったユリの花の写真。単純にとてもきれいでした。

 という話はさておき、むかしむかし、学生時代に書いた文章が出て来たので一部修正してからここに載せておきます。こんなふうなショートショート風の文章が23篇綴じられていました。その中の一篇。

 

南極の氷から

 一九七七年のプロ野球が開幕した日のことを書こう。その日、ぼくは、ポール・サイモングラミー賞をとったLPレコードを流して、音を消したテレビで野球中継を見ていた。ポールのそのアルバムは、輸入レコード専門店で、ウェザーリポートとジャクソン・ブラウンザ・バンドのLPと一緒に買ってきたもので、野菜をくるむように透明ビニールにぴちっと包まれていた。ビニールを剥ぎ取らずに、レコード盤を取り出せるように、爪の先で取り出し口だけを縦に割くだけに留めている。それで、ビニールは今もジャケットをぴちっとくるみ続けている。ビニールにくるまれたジャケットは、とてもいい感じで、ビニールに反射する部屋の蛍光灯が、ポール・サイモンの顔を隠す。そんな位置に自分の目を持ってきて、あは、ポールの顔が光で見えなくなったぞ、などと遊ぶ。輸入盤のジャケットをくるむビニールをびりびりと破いて捨てる人と、ぼくのように付けっぱなしにしている人とでは、どんな違いがあるのかな。占い師に尋ねると、きっとセックスの嗜好について語ったりするんだろう。新車のシートを覆うビニールを破らずそのままにしておくのはかっこ悪いと思う。輸入盤レコードだからこそそうしたい。ジャケットをくるむビニールには直径5センチメートルくらいの丸いシールが貼ってある。英語で「グラミー賞獲得アルバム」と書いてある。

 輸入盤レコードを売っている店へ行くのは特別なことだ。電車に乗っておよそ一時間、都内のその町には駅前に大きな交差点があり、歩行者信号が青になるたびに、駅からパルコの方に行く人と、駅に戻って来る人が道の真ん中で交差する。ぐちゃぐちゃに絡まって、ほどくだけで小一時間も掛かってしまいそうな海が荒れた日の投げ釣りのさき糸のことを思い出すが、人々は絡まずに横断歩道を渡りきる。人々の服の色は流行色などあるのか?と思うほど種々雑多で色とりどりだった。これはブラウン運動的ファッションショウだな、横断歩道を見下ろせるビルの、その二階の窓の前で仁王立ちの丘の上のピストル使い(友人のアダナだ)は顎の下に右の親指と人差し指を当ててそう言った。その丘の上のピストル使いとぼくも、そのすぐあとに、小さな粒子になってブラウン運動に加わっている。

 横断歩道を渡り切り、その先の繁華街を真っ直ぐ進み、右に曲がると短く急な坂道になる。ぼくたちは意識して無意識を装い、その坂道の方へさらりと折れる。口笛さえ吹きながら。恋人たちのためのホテルを通り過ぎ、たらこと海苔を初めて使ったという人気のスパゲッティの店の前も越え、もっと細い路地へと左折する。そこは散歩のたびにどの犬も必ず片足を挙げそうな、犬にとって魅力的ななにかを備えた電信柱が目印だ。最初に輸入盤レコードの店への道を教えてくれた先輩がそう言ったのだ。先輩はなんでそこにある電信柱が犬にとって魅力的だと判ったのだろう。たぶん次から次に犬が来て、次から次に片足を挙げた、そういう現場を見たに違いない。電信柱の先には仲間が集う喫茶店だ。どんな仲間かはわからないし、ぼくはその仲間ではないけれど。そうだなぁ、店長の孝は1968年の新宿の秋の日に逮捕された前科がある物静かな男。孝の恋人の晶子は喫茶店を手伝っていて、その晶子の高校時代の同級生の何人かが偶然近くに住んでいて、ここに集まって来るようになった。一例として、そういう仲間だ。中に一人くらい東大法学部のやつがいて、二人は暴走族で週末に湘南を走りに行っている。でも心根は優しいわけだ。

 喫茶店の先にとうとう我らが輸入盤レコードの店がある。霧を分けて登場するイエローキャブのように、レコード屋がそこに現れる。入り口のガラスの引き戸には手書きで文字が書かれた紙が貼り付けてあった。たとえば『シスコの風に吹かれているみたいで、とても軽くなれるんです。ボズ・スキャッグスの新譜、おすすめです』こういうのを読むと、ぼくは少し照れてしまう。だから欲しいアルバムを買ったら、来たときと同じ道を戻って、そそくさと帰ることだ。

 帰りは普通電車に揺られること一時間十分。アメリカから船に乗って送られてきた数枚のLPレコードを脇の下に挟むようにして大事に持ち帰る。そのときはもうすっかり日も暮れていて暗くなっている。なぜだか輸入盤レコードを抱えた帰り道には、海鳴りの音がよく聞こえるのだ。ざぶーんって。

 かくのごとし。輸入盤レコードの買い出しは丸一日がかりだ。異国への旅くらい疲れるし、帰宅するとちょっと溜息が出る。だけどぼくのものになったLPレコードはなににも増して輝いている。ようこそわが家へ、だ。

 imported recordsと臙脂に白抜きで書かれている、ビニールでくるまれた数枚の買ったレコードを店の人が入れてくれた紙の袋がちょっといかしてる。この海辺の小さな町では、そんな袋を持っているやつはぼくらの他にはいないんじゃないか。だからちょっとかっこいいじゃん。ある日、その紙の袋を指さした七つも下のぼくの妹のともだち、妹とともだちは中学校で英語を習い始めたばかりだ、その妹のともだちが「インポテンツ・レコード」と間違って袋の字を読み上げる。ぼくは「違うよ、インポーテッドだよ」と言い、妹のともだちは素直に「間違ったー、きゃはは」と言う。

 ポール・サイモンが虹のことを歌ったとき、王貞治選手が一九七七年のシーズン第一号のホームランを打ち、あの国民的シーズンを予感させていた。丘の上のピストル使い(繰り返すが、友だちのアダナだ)がわたしの部屋にやって来たのは午後三時か四時頃。砂浜からの投げ釣りのシーズンにはまだ早いけれども、とても気持ちの良い日だから、奴ときたら、カーヴを高速のままかっこよく曲がった勢いで少しロックした後輪タイヤを滑らせながら、キキっと自転車のブレーキをかけて止まった。ぼくはその様子を二階の、階段の上の窓から見下ろしていて、

「おお、来たのか。じゃ、飲もう」

と言う。すると、丘の上のピストル使いは

「まだ明るいぜ」

と上を見上げてぼくに言う。ぼくは言う。

「実はいいものもらったんだ。なんだと思う?」

 南極の氷をもらったんだ。おやじがどこかからもらってきたそれが冷凍庫に入っていた。ウイスキーグラスにちょうど収まる大きさに砕いてあった。その一かけらをウイスキーグラスに入れると氷は観念した天使のようにカランカランと滑ってからグラスのなかで回った。三回転ルッツ。そこにウイスキーを注ぐ。するとウイスキーが氷を溶かし、氷の中に閉じ込められていた太古の気泡がはじけて、ぱちぱちと音を立てる。その音を聞きながら丘の上のピストル使いは、

「このぱちぱちは摂氏ゼロ℃の暖かさ」

ウイスキー会社のキャッチコピーのようなことを言うのだった。この日の丘の上のピストル使いは、いつもは断然アルコールに強いのに、めずらしく三杯程度のロックですっかり酔ってしまった、ふらふらとベランダに出ると、どーんと横になってしまった。

 寝ている彼は放っておこう。ぼくは溶け残った南極の氷を口に含む。するとぼくの舌の熱さで太古の気泡が口のなかで解き放たれる。ポール・サイモンは恋人と別れるたくさんのやり方を歌詞で伝授しているらしいが、そんなことよりも、恋人が出来る方法を教えて欲しい。

 あらま、そんなの簡単よ、と、けい子ちゃんが言う。ぼくの頭の中の妄想のけい子ちゃんが。キスしてぴったり唇と唇を合わせると、二人の口のなかで太古の気泡が行ったり来たりするじゃない。それでもう大丈夫、だって二人は同じ夢を見ることができるのよ。なるほどね、とぼくは思うが、でも反論もある。その夢に(気泡が氷に閉じ込められた太古の)翼手竜やら雷竜やらが出てきた日には逃げ惑うだけじゃないか、と。

 それもそうね、そういうとけい子ちゃんは消えてしまった。消えていく妄想けい子ちゃんの背中にぼくは言う。そもそもキスができるってことは二人はもう恋人なのでは?なんか矛盾だよ、と。彼女は答えてくれないし、振り向きもしなかった。ふと気づくと、ポール・サイモンのアルバムのB面の最後の曲も終わり、針は内側の最後の溝を何周も何周も音楽を奏でないまま回り続けていた。

 

(1977年の春に私のノートに書いてあったショートショート(若干いま加筆修正)でした)