青い家


 写真は東北新幹線より流し撮りした風景です。逆アオリとは違った感じで、即ちあまりダイレクトにミニチュアには見えない、ある意味「中途半端」な感じで・・・

 7/3のブログにスターマークを付けてくださったjoseetigerfishさん、ありがとう。
 スターマークでお返しするとか、ようわからんので(って多分ポチって押すだけなんだろうけど・・・)、自分のブログにお礼を書いているという間抜けです。いま我々のニセアカシア(リトルプレス)は7月末発刊に向けて準備中です。

 ようわからん、と言うのは、例えばこのはてなのブログのいろんな機能なんかも、最近はようわからん。カラースターとかようわからん、RSSとかようわからん、ツイッターと連動とかようわからん、トラックバックようわからん、皆さんがよくやっているYOUTUBEとのリンクの貼り方もようわからん。ようわからんのは、「年を取って付いていけない」ということで片付けると簡単なのだが、たぶん、ちゃんと覚えようという意思があれば、わからんわけがないわけで、わかりたいというちょっとした興味みたいなことすら沸かないのだ。ではなぜブログをやっているかと言えば、それは写真をいろんな方に見ていただきたいからであって、そうしたい願望は強いからこうしてブログは継続しているわけだ。

 だけどN君のように、このブログは写真よりも「文章を読むのが楽しみ」という方もいらっしゃる。それはそれでありがたい。

 私は20代はだいたい単車に乗って動き回っていて、車の運転に関してはペーパードライバーだった。結婚して妻は車を運転したので(車も持っていたので)いつも助手席に乗っていた。ある日、妻が盲腸を患ってそのときにやむにやまれず病院に妻を送っていく等々で運転をして、それがきっかけでペーパードライバーではなくなった。
 誰かが(って誰だ?)今、「ツイッターやってね、オ・ネ・ガ・イ(ちゅ)」って言ったら尻尾ふりふり頑張るのだろう。・・・あぁ、くだらない。
 頼むから誰もそんなこと言わないでください!



 先日のブログにクリスマスの思い出のことを書いて、そのきっかけがブローティガンの「芝生の復讐」だ、と書いたが、そのあと読みかけのその本をぺらぺらとめくったがクリスマスのエピソードなど見つからない。あれ?変だなあ・・・と思って、腕組をしてすっかり考え込んでしまった。そして、もしかしたらその日の朝の社バスで読んでいた内田百輭の短編にクリスマスが出てきたのだろうか?とも思ったが、その後やっと判明したのは、昼に大竹昭子森山大道について書いているウェブサイトの連載を読んでいて、そこで、森山大道が幼少のころに駐留アメリカ兵の家の中をのぞいたらクリスマスツリーがあった、といったような(これまた曖昧な記憶)ことが書かれていたのがきっかけだったことを思い出した。
 それは携帯電話に思い出したむかしのクリスマスの思い出をメモした、その時間が昼の時間だったからたどりついたわけで、そのメモの時間を見るという「機転」が思いつけなかったらきっかけが判らないままだった。きっかけなんか忘れていてもかまわないんだけど、この場合。
 ただ面白かったのは、読み進めた「芝生の復讐」で、マリリンモンローの死から熊のエピソードを思い出した、という話が出てきて、なんかそこに、何かをきっかけに何かを思い出したという同じ構造の思考が書かれていたので驚いた。
 と、いま書いたら、書きながら、でもそれって結局なんでもそうなんじゃないか?とも思ってしまう。。。
 暑いですね。