鎌倉へ


私は、アボカドのことを間違ってアボガドだと思っていた。昨夜、家族のSが本屋および古本屋に行きたいと言うので、茅ヶ崎から寒川の方へ北上する通称「産業道路」沿いのよむよむ書店と、大曲のブックオフを自家用車で順に回った。そのときに、平積みされた村上春樹の村上ラヂオ2が目にとまり、タイトル詳細は忘れてしまったが、そのタイトルにアボカドという単語が使われている。アボガドと思っていたが、いろんなところでアボカドという正しい記載を目にしてきて、自覚に至らないまま、アボカドという正しい方の単語が、なんていうか、自覚前記憶領域に堆積していた。そういう状態から村上ラヂオのタイトルのアボカドを見て、とうとう自分が間違っているのではないか?という疑いを自覚した。
 今朝も早くから目が覚める。一昨日の夜にテレビで開高健の番組をやっていたが作家の料理番だった方が、開高が歳を取ると眠る為の体力がなくなる、というようなことを言っていたと回想していた。毎日、早くから起きてしまう。睡眠不足のままに起きてしまう感じ。眠る為の体力が不足している。
 今朝もそういう朝だった。寝不足で眉間の辺りが突っ張ったような感じ。ではまたすぐに眠れるかというとそうは行かないから厳しい。仕方なく携帯電話を手にして、ではまぁアボガドかボカドか、もしかしたら両方正しいのかもしれず、調べてみることにした。アボガドかアボカドか、正解はアボカドなのだった。世の中にはいろいろと調べている方がいらっしゃって、これだけアボガドという言い方が浸透していると、これは単純に誤記とか間違いで済まないのではないか?と、都内の八百屋を回ってどちらの表記が使われている確率が高いか、とか、ヤフーやグーグルなどの検索エンジンでアボガドと入力した場合とアボカドと入力した場合のヒット数比べをしたりしていらっしゃる。そういうのを読ませていただくと、なるほど、ここ数年のあいだにアボガドからアボカドへ、徐々に正しい方へ、ヒット数が逆転傾向にあるようだった。ちなみに都内の八百屋調査結果では、さすがにそのものを扱っている店舗だからかアボカドの方が勝っているようだった。
 正解方向に日本国民の認識が変化しているのだとすると、どういうことか?ひとつはそもそもアボカドなるものを知らなくて、あるときからアボカドという正しい単語で覚えた、すなわち、新しく知った人は正しい単語で知る確率が高い環境が高まっているということがあるのだろうな。雑誌や本で取り上げられる回数が増え、そこにはまず正しい単語で書かれるだろうから、たとえば村上ラヂオ2みたいに。それを読んで知った人は最初から間違えない。それはそれでよし。私が興味があるのは、私のような意趣替え・・・ではなくて、間違って覚えていたことを修正した方は、その機会がどんなことだったか、ということである。例えば、友人と話していて、アボガドと言ってしまい、アボカドと、やさしく訂正された、とか、馬鹿にされつつ訂正された、とか。または誰かの曲に「アボカドとたわしの恋」といった曲名がついていたと仮定して、そういうのに出会って、内緒で修正した、とか。
 このブログの九月十九日分は、アボガドをアボカドに直してアップしなおした。それ以前のは面倒くさいからそのままである。
 アボカドについて書かれたことをついでに読んで、種は三分の一ほど水につけておけば芽が出る。いちど冷蔵庫に入れたものは発芽しない。観葉植物になる。でも日本の気候では実を結ぶのは難しい。などということも知ることができた。石田千の小説のなかでは、今までは芽吹かなかったのに今回は芽吹いた、ようなことが書かれていた。だから芽吹かなかったそれはきっと冷蔵庫に入れられたことがある種だったのだな。
 そんなことを調べたのちに、昨晩は眠気に負けて、なにしろ夜になるとある瞬間から突然に眠気がやってくるから、シャワーを浴びずに寝たので、今朝にシャワーを浴びた。その後、新聞を読んだりして時間を調整し、8時過ぎにバスで茅ヶ崎駅へ。いつもの千八百円の床屋へ。九時開店となっているが、八時半くらいからご年配の方を中心に列ができて、出勤してきた若い理髪師たちが準備を整えると、九時前から一人二人と営業がゆっくりスタートしていく。だから早めに行ってみたら、列の二番目になった。すぐに営業がゆっくりと始まって、すぐに呼ばれた。店の週刊誌で芸能界と裏社会の蜜月に関する証拠写真というのを眺めていたら「どうぞ」と呼ばれた。散髪に二十分。そのあいだ店に流れているエフエム横浜が耳に入ってくる。ELTアイガアルという曲が流れるが、一分も経たないうちにフェイドアウトしてCMになった。
 散髪のあとに、JRで大船までおよそ15分。大船からモノレールに乗り換えて西鎌倉。歩いて広町の森。NDフィルターを付けてスローシャッター写真を撮ったり、外してふつうのシャッター速度写真を撮ったりする。森の一角でスローシャッター写真のために風を待ってぼんやりと立ち尽くしていると、人の気配が小さくなるのか、間近に鳥の声が聞こえたり、近くのブッシュの中で、ヤマドリなのかな(以前ここで見かけたのでそう思っただけです)、ごそごそと何かが動いていたりするのがわかる。風はさやさやとかごごごっとか吹いてきてはぴたりと止まる。
 西鎌倉から江の島。江ノ電江の島から由比ヶ浜。12時少し前にラ・ジュルネで昼食を食べる。外の日蔭の席に陣取る。次々と常連らしいお客さんが店内に入っていくが、屋外は長閑なままである。テーブルの上に店先に植えられた観葉植物の、アボカドではないと思うけど・・・葉の影が揺れる。青菜炒めとアボカド載せごはん、だったか、青菜とアボカドごはん、だったか、その正式名称をちゃんと覚えていないのだが、それを食べる。青菜をニンニク風味で炒めたものがごはんの上に載っていて、さらにその上に1/2個分のアボカドが載せてある。さらに刻んだカクテキも。そしてジュルネ名物の?大量の鎌倉および三浦野菜のサラダが、いや本当にすごいんですよこの量が、それも主に葉っぱ系のもので名前を知らないものばかり何種類もで構成されている、が、どどーんと添えられている。
 問題はこれを注文したときの私の失言だった。今朝、正しい言い方を覚えたばかりなのに、「青菜炒めとアボガド載せごはん」と言ってしまったのだった。するとお店の、よく見知っているのですが名前を存じていない女性の方が「はーい、青菜とアボカドねえ」と確認したので失言際立つ。
 ジュルネのあとは由比ヶ浜へ。ひとしきりNDフィルターを付けたスローシャッター写真を撮る。その場では結構いい写真が撮れた感じがしたのだが、帰宅してチェックしたらあまり面白いのはなかったです。気持ちがよかったからそんな風に思えただけだったのか。
 再びジュルネの前を通過して由比ヶ浜商店街に出て、公文堂書店をのぞいたりしたあと、鎌倉駅へ。江ノ電に乗って柳小路。柳小路駅から歩いて、余白やさんの週末古書屋台へ立ち寄る。棚の中には自暴自棄かと思えるような値付け、この本が百円でいいの!?というものも混じっている。多和田葉子の一番新しいシロクマのイラストが表紙の本など購入。
 今日から夜の方が長くなる。最近は急に夜が来るのが早くなった気がする。と、余白やさんがおっしゃる。アナログ的に夜の長さや昼の長さは変化していくのに、デジタル的に急に変わった感じがするのは、私も同感。ワインで酔いつぶれているあいだの記憶が途切れていて、その分がカットされるからそう感じるだけかな、と余白やさんがおっしゃる。私はそれについてはノーコメントである。
 ところでアボカドの話に戻るが、誰かのブログには、アボガドロ定数を日本人はみな習ってきたので、その語呂からアボガドというのが自然と親しみやすかったので、間違って浸透したのではないか、という推論が載っていた。
 アボガドロ数ウィキペディアで調べると「アボガドロ定数アボガドロていすう、Avogadro constant)とは、物質量 1 mol とそれを構成する粒子(分子、原子、イオンなど)の個数との対応を示す比例定数で、単位は mol−1である」とあった。
 アボガドロ定数という単語は覚えていても、それが何かは忘れてしまっていて、これを読んでも、はぁそうだったかね、という感じである。
 ドップラー効果なら救急車が通るたびに思い出すのだが。
 そうだった。今朝の新聞にニュートリノは光より早く飛んでいるかもしれなくて、そうだとするとアインシュタイン相対性理論に反する事実となる、なんて記事も載っていた。
 秋晴れが毎日続く。明日はどうしようかな。