須田一政写真塾7月例会


 7/14からの三連休に一日休暇をくっつけて京都に行っていました。そのときに撮った写真を150枚ほど2Lサイズにプリントして、今日、7/21に須田一政写真塾7月第三週組例会に持っていきました。ここに載せている3枚は、そのうちの7/14に撮った写真から選んでいます。

 7/14は朝早くに家を出て、小田原から新幹線に乗り、京都には9時過ぎに到着しました。京都に行くときは一乗寺のTの家に泊まります。車輪が付いていてごろごろと引っ張るタイプのバッグを持っていたので、京都駅から東福寺出町柳一乗寺と、JRから京阪、京阪から叡電、と乗り継いで最初にTの部屋へ寄ります。身軽になってから、少し早い昼食を近くの喫茶カワタレで食べました。店主のNTさんとしばらく話しました。カワタレは「彼は誰?」から来ているカワタレ時のことで、黄昏よりももう少し夜に近い時間のことだそうです。もしかしたら、このことは前回にこの店に来たときにも聞いたかもしれません。でも聞いたかどうか、忘れてしまっていましたから、もう一度かもしれないその質問をしたわけです。チキンカレーは辛いと思うと甘くて、甘いと思うと辛い、不思議に美味しい味でした。とある果物が使われているからのようです。とあるがなにかは書かないでおきましょう。壁にNTさんのイラストレーターのお友達が書いたという紙が留めてありました。下の写真です。なんの絵なのか詳しくは見えませんでした。写真に撮っても被写界深度が浅いので詳しくはわかりません。なんの絵なのかな?そのときにもっとよく見たり、聞いたりすれば良かったと思います。帰宅してからそんな風に、ああすればよかった、こうすればよかった、と思うことはたくさんあります。帰宅したあとにガイドブックを詳細に読むこともしばしばです。会話をしているときに、聞き手と話し手になんとなく役割が別れるのであれば、それは聞き上手な聞き手である方がよろしかろう、なんてことを聞いたことがあります。思い返せば、私は、若い女性のNTさんと会話しているのに、すっかり聞かれっぱなしで話し手になっていたな。最近読んだばかりの本のこととかを。
 カワタレを出た後に高野からバスで四条大宮阪急電車を乗り継いで宝塚メディア図書館にzine book gallery 2012の見学に行きました。展示されている全作品をじっくりとみてきました。本は展示以上に写真の流れが作る(めくってはじめてあらわれる次の写真へのつながり)音楽でいえば旋律にあたるものが心地良いことが大事なんだなと思い知らされた感じがしました。私の出しているzineはぶつ切りされた感が否めませんでした。ほかの方のzineでIkuko Suzukiという方のものが中盤と後半にその旋律がとてもよく出来ているものがあり感心しました。
 この図書館はとあるビルの地下二階にあるのですが、地下一階は複数店舗が入るスーパーマーケットスペースのようでしたがほとんどの店が店じまいしていました。それもなぜかここ数か月のあいだに。上の写真はそんな場所です。向こうの赤い垂れ幕と、換気扇のカバーに反射している青い色に惹かれて撮りました。ここのところ何年もカラーばかり撮っていますが、とくに最近は色に、それも青や水色を注視しているように思えます。
 京都に戻り、祇園祭宵山だか宵々山だか、宵々々山なのかな?、もらった団扇に書かれた地図を見ながら鉾や山をめぐって行きます。腹が減って来たので、どこかのレストランが出している露店で賀茂ナスバーガーというのを買って食べたりもしました。どんどん歩いて、そのうち祭りの中心から離れて、足の裏やふくらはぎが疲れてきて、それでも歩いて、エレファント・ファクトリー・コーヒーに寄ります。数日前、十数年振りに村上春樹著「風の歌を聴け」を読んでみて、そうしたら引き続き「1973年のピンボール」も読もうと思い、それを新幹線の中でも読んできて、エレファントのカウンター席の奥から二番目の席で続きを読みました。珈琲にチョコレーズンが三粒だけ付いてくる。そのチョコレーズンを口に入れてから濃いコーヒーを飲むのも美味しいことに気が付きました。それから、村上春樹の初期小説がものすごくおセンチな時間、それこそ黄昏時や彼誰時やまづめ時といった時間を使って、しゃれた比喩を交えながら、「ひどく」「おそろしく」疲れたり悲しかったりしていることを、さらりと軽い印象でくるんでいることにあらためてびっくりしたりしました。亡くなった森田芳光監督の「のようなもの」で落語家の卵とトルコ嬢(当時の言い方)が横浜の夜の港を歩きながら「ジャンゴラインハルトの流れるレストランでも行きたいですね、、、冗談ですよ」と言う場面がありますが、僕と鼠は、冗談でなく行ってしまうような感じです。ふーむ。いまの村上春樹にはこういうことは書けないのであろう。そして今の私が、この本を読んだころは二十代だったから、このおセンチに「ひどく」魅せられたのでしょう。著者も読者も青かった。でも、いまの私がいまの若い作家が書いた青いものに共感や感動が出来なくなってしまっていても、当時の私が共感や感動したものはいまになっても好感できるのは、それは当然懐かしさというやっかいな気分の効果なんでしょう。
 新しい直木賞作家の方の小説を数年前に読んだことがありましたが、使っている熟語がそこまで大げさな言葉を選択する必要があるのか?ということ等々で、文章が私にとってはまったく受け入れがたく読みづらく心地よさからほど遠かったのですが、それは著者と読者のアンマッチだったのだろう。
 三条の川原では若い人たちが集まって、その真ん中で火芸の芸人が拍手喝采を受けていました。一番下の写真です。写真を撮る人は傍観者で、傍観者は被写体とアンマッチであってもいいかもしれない。写真を撮ることはアンマッチを乗り超えるこじつけの理由かもしれないです。

 今日の須田塾で須田先生が私の写真について、空気清浄器が歩いているようだとかおっしゃっていました。それは「1973年のピンボール」を一例とするあの頃のおセンチに共感していたころの気分が年を経ても巣食っているのかもしれないな。ユーミンのスポーツカーのイラストのアルバムとかのおセンチも。やれやれ。 
 


1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

夜のエレファントで読んでいたのは4章あたり。