ヘイ・ジュード あるいは 貴船祭


 朝、テレビを付けたらロンドンオリンピックの開会式は後半に差し掛かっていて、聖火の点灯とか選手宣誓をぼんやりと見ていました。私は、平塚市の明治六年に創立した小学校の出身ですが、小学校のたぶん二年生のときが東京オリンピックの年でした。学校の南側の大通りを西から東へ、聖火ランナーが通るというので、生徒がそれぞれ旗のようなものを持たされて、道沿いに並び、聖火ランカーが駆け抜けるのを応援したように思います。これも不確かなことですが、マラソン競技をテレビで見たくて、学校から走って帰って来て、裏庭に木戸があってそこをくぐって明るい陽の射す庭を通り、縁側から部屋に上がってすぐにテレビの前に座ったように思います。
 小学校の五年生か六年生のころにビートルズのヘイ・ジュードが流行りました(いま調べたら発売日は1968年の8月だから五年生でした)。やっとちょっとだけ、グループサウンズの曲や歌謡曲だけでなく、洋楽ってものに興味が出始めたころです。なぜだか休日の午前に、友達のオザワ君とかハラダ君やコンドウ君と、まだほとんどの店が開いていない紅谷町商店街あたりを歩いている光景が浮かびます。そこを歩きながらヘイ・ジュードって曲は長い曲だ、とか「らーらら、らららっらー」がいつまでも続くのが面白いとか、そんな話をしたことが、そんなどうでもいいことがいつまでも忘れずに残っているのです。8月ってことは夏休みだったのかな?林間学校か何かのための買い出しにでも集まったのかもしれない。
 オリンピックの開会式の最後に、ポール・マッカートニーがヘイ・ジュードを歌っていました。上に書いた「らーらら、らららっらー」に入るまえに、階段を上るように高音に駆け上がる「らららららららららららららー」ってところの最後の高い音、もう70歳のポールがしっかりとその音まで声を出していてすげえと思いました。
 ともだちと喧嘩をしたことなんかほとんどなかったけれど、一度、もう理由は忘れましたがコンドウ君に縦笛で頭を殴られたことがありました。ヘイ・ジュードの話をしたときには一緒ではなかったイノウエ君とは取っ組み合いの喧嘩をしたことが一度だけありました。いろんな想い出に音楽がまとわりついています。イノウエ君とのけんかのことを思い出すと、なぜだかピンキーとキラーズの「恋の季節」を思い出すことになっているのですが、どういう関連があったのかは覚えていません。喧嘩の直前まで二人で「恋の季節」の振り付けを真似して遊んでいたのだろうか。
 中学1年のときだけだったと思いますが、ミツハシ君と同級になって、短いあいだだけすごく仲が良かった。そしてやっぱり夏休みに、カメラを持って、私とミツハシ君で電車に乗って真鶴まで行きました。朝日新聞貴船祭のことが載っていたからそれを読んで行きたくなったのでしょう。当時の私は、ディスカバージャパンとかの「旅」ブームにしっかりと捕まってしまっていて、その記事を読んで早速ミツハシ君を誘ったのでしょう。でも夜まではいなかった。真鶴の祭りの舞台となる漁港を取り囲む山からクマゼミやミンミンゼミの声がわんわんと聞こえていて、平塚市ではアブラゼミばかりなのに、ずいぶんと違うなあ、とうらやましく思ったりしました。羽根が透き通った蝉の方が価値があるという子供たちの基準があったのです。中学になってもう蝉取りなんかしなかったけれど。
 オリンピックの開会式でヘイ・ジュードが歌われ、それで小学生や中学生だったころのことがずるずると思い出される。昨日から今日の夜まで真鶴では貴船祭が行われました。ミツハシ君と行って以来、四十数年ぶりにやっぱりカメラを持って貴船祭に行ってみました。借り物の5D3と28mmのISレンズを持っていきました。ISO6400まで使うと、ISの効果も加わって、手持ちでもこんな写真が撮れました。
 夏の夕方の海風は心地よい。ヘイ・ジュードではなくて、尾藤イサオが歌っていた、映画「の・ようなもの」のエンディングの曲が思い浮かびました。あの素敵な映画のラストは、同じような夏の夜の、宴の後の場面だったから、そんな曲を思い出すのです。
 ところで真鶴の町は急坂が入り組んでいて、適当に路地を折れると、三角屋根の昭和のころの住宅がたくさん残っていて、気に入りました。川上弘美の「真鶴」をまた読み返してみようかな。
 真鶴に出かける前、午後2時から、部屋に掃除機をかけながらBS-JAPANで写真家たちの日本紀行を見ました。写真家は石川直樹だったので、これはちゃんと見なくては、と思い、掃除機を停めてから見ました。彼は、番組の中で沖縄のとある島の祭りを撮るのですが、しゃしゃり出て撮ることをまったくしないのです。前の方に出て行ってイメージ通りの写真を決めても仕方がない、写真には偶然が写りこむことが大事なのですから、といった主旨のことを言っていて、かなり共感できました。
 そんな番組を見たあとに、シャワーを浴びて、プレステッジレーベルのマークのユニクロTシャツを着て、出かけました。いつも通りではありますが、石川直樹の言葉を聞いたこともあって、祭りの写真とはいえ神事ではなく、三々五々集まってくるのんびりとくつろいでいる人たちをずいぶん撮りました。ゆっくりと時間が進む、海風に吹かれる、気持ちの良い祭りでした。 

追記
ヘイ・ジュードのリフレインのぶぶん、私は長年「ららら」だと思っていましたが「ななな」とか「だだだ」と歌っているようですね。歌詞を調べてみたらそうなっていました。ウィキペディアにはこんなエピソードが書かれています。

『ポールは "The movement you need is on your shoulders" の歌詞を修正もしくは削除するつもりだったが、ジョンの「ここがいちばん格好いい詞なんじゃないか。捨てるなんて勿体ない。残しておけよ」というアドバイスに従い削除しなかった。ポールは今でもこの歌詞を歌う際、ジョンを思い出して懐かしい気分になるのだという。』
オリンピックで歌ったときもポールはジョンを思い出していたのだろうか。