通り過ぎる断片のような


 何年ものあいだ・・・っていってもコンパクトデジカメを使うようになってからだからここ7〜8年のことだけど、車窓を流れていく風景を写真に撮るようになった。熱意に波があるものの、しょっちゅう撮る。7〜8年のあいだ、ずっとワイド端でばかり撮っていた。気づくの遅すぎ?・・・かな、いい加減マンネリから抜け出そうと気づいて、中望遠で車窓風景を撮ってみようと思い立って、さっそくやってみた。車窓をどんどん過ぎていく風景ではあっても、一応は撮りたい被写体があって・・・捨てられた車とか、電信柱にまとわりついた雑草とか、それをほぼ画面の中心に入れて流し撮りをするのだが、画角が小さくなればそれだけその行為が難しくなる。写真はよりぶれてしまう、よりピントが曖昧になる。なんだか、60年代か70年代かの日本のモノクロアレブレ写真みたいになる。
 このまえの土曜日は須田一政写真塾第三週組の8月例会があって参加してきた。私はこのブログにも載せた茅ヶ崎花火大会の写真、真鶴貴舟祭の写真、あとは日々のスナップなど、200枚くらいを持って行った。先生が選んだ50枚ほどを並べて、茅ヶ崎花火大会を砂浜で見ている人たちの写真(このブログの8/4に載せた写真)を先生は「地獄の審判を待っている人たちみたいだ」とおっしゃって、びっくりした。一方、Mさんはこの人たちは今を見ているのではなくて過去もしくは未来かもしれない、いずれにしても今ではない風景を見ているという感想をくださった。そしてIさんは、(岬の写真はいつも)昭和が写っていると感じる、とおっしゃるのだった。そんなことを思い出しながら、この写真みたいなのに私自身は昭和を感じると思っていることに気付いたのだが、きっとこの写真を見た先生やMさんやIさんは、またもや思いもよらないことを感じるのだろう。それが面白いんです。

 一緒にニセアカシアをやっている同人の林誠治さんの作品が日本カメラ9月号グラビアに掲載されました。是非、ご覧ください。彼は私よりずっと若いけど、もしかしたら私以上に昭和のころの精神性をちゃんと理解している、そんな気がします。力のある堂々とした写真です。