ニセアカシア編集会議など


 午前中、パソコンの前に座って、ネットで注文する写真集を作ってみようかな、と思って編集を進めてみる。
 午後、鎌倉へ。14時、ヴァカンスにて「きみえさんの焼うどん」を食べる。「秋にはやはり焼うどん」などとつぶやいてみるが、適当に口をついただけで何の根拠もなし。でも美味しかった秋の焼うどん。
 15時ころ、由比ヶ浜の海を歩く。
 16時、東口でAbHAYASHIさんと余白やさんと合流し、ヒグラシ文庫(立ち飲み古本屋)でポテトサラダとマグロ血合燻製を食べる。お店のかたに「先生」と呼ばれた常連らしき初老の男性がポケットからカボスを十個ほど取り出して、カウンターに並べた。流れている歌がフランス語だと思ったが、余白やさんに「フランス語ではない」と教えられる。スペイン語ポルトガル語かどちらからしい。
 意味のわからない言語のボーカルは表現の幅がとても広い豊かな楽器の一つのようなものなのかもしれない。意味がわかってしまう言語の(すなわち、日本語の歌詞が歌われる)ボーカルは、言葉の力が曲の解釈を相当狭い範囲まで絞って導いてしまう。どっちがいいということもないが、ときどき日本のロック曲などを聞きながら、歌詞の意味を消してこの曲を聞いたらどう聞こえるのだろうか、と叶わない鑑賞をしてみたいと思う。1970年代にタモリ等周辺で起きていた「ハナモゲラ語」遊びの発端にはそんな背景があったりしたのかな?言語の抑揚とニュアンスだけを残して意味を排除することによる偽言語表現の楽器的効果、イコール、洋楽鑑賞の基本機能、みたいな。たわごとざれごとでございます。
 並べられたカボスのよこに、最初からおいてあった黄色い大きな果実があるのだが、それがなんだかわからない。名前はわからなくても、ここには秋の景色が作られているのだった。
 古書の棚の本に懐かしい名前を見つける。この人って今はなにしてるの?と聞くと、何しているんでしょうねえ?と言われるときもあるし、最近の活動を知らせられるときも、もちろん、ある。そんな答えもすぐに忘れてしまうのだった。
 17時にニセアカシアのMさんIさんと西口で合流し、由比ヶ浜通りのMOWAという店にて夜の10時近くまで長居する。ニセアカシア編集会議では、ニセアカシア同人ではない余白やさんが、4号の仕立てに関して、同人ではないが故の気軽さゆえか、突飛な案を繰り出してくる。これが最初のうちは冗談のようでダメダメに聞こえているのは、実はこちらが勝手に狭い枠のようなものを作っていたからかもしれず、だんだん面白くなってきて、最後は嘘か誠かは後日冷静にならないと判断不能かもしれないものの、なかなかに面白くてかつやってみたくてかつ実現性もちゃんとありそうな妙案と思えるものがまとまった感もあり。
 由比ヶ浜で撮った写真を眺めると、流れ込む小さな川の河口の防波堤に一定間隔で並んだカップルを国道から見下ろした写真とか、逆光にシルエットになった浜辺で遊ぶ子供たちと遠方のヨットの写真とか、望遠の(めずらしくそのときはズームレンズを付けていた)圧縮効果を使って砂浜に遊ぶ人たちを撮った写真とか、そんなのがあって、でも何度も繰り返してみていくうちにそういうドラマチックなのが全部嫌になってしまう。そしてこのブログに載せる写真として、最初はまったく気にも留めなかったこんな写真を選んでしまうのだ。(ど真ん中で上下が切れているなんてことも作法としてNGなのか?右に向かう人が右の方に置かれていることも作法としてNGなのか?しゃあないじゃん、テキトーに撮っているのだから)
 写真なんか所詮はすべて偽なわけですよ、と、編集会議でIさんが言っていたな。時間の中で動き変化している目の前どころか自分の周囲全体の空間があって、そこには嗅覚や触覚で感じている情報があって、そんな中から、視覚でとらえていることに似た一瞬の状態だけを、しかもそこから切り取った一部の画角の状態らしきことをとどめただけの写真に、真実を写す働きなんかいったいどれだけあると言うのか。写真に「写真」という字をあてたときから日本だけが背負った写真の
間違った解釈なんてことを言っている人もいたけれど、一方で独自の道を開拓したかもしれないし、悪いとか良いとか言えないな。一方で、カメラとレンズという機械の持つ物理的原理に基づいて写真と呼ばれる画像情報を記録する普遍性のなかで写真家の役割というのはなになのか。
 なんていう言い古された写真論の「議題」はくるくると回り続けていて、いつもいつまでも回り続けていて、それが回り続けているなかに閉じ込められているのが楽しいから、そこから抜け出したくない。

 久々に「ですます調」をやめてみました。
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店にギターが置いてあって、昭和30年と31年と32年生まれの三名が順にギターを手にしてみたが、なかなか指が動かない。余白やさんが「バーコードはまだ抑えられるかな?」と言っていて、しばらく「バーコードは難しい」とか答えていて、そのうち「バーコードでよいのかな?」ってなって、十数秒考えたあとに「バレーコード」という単語が出てきたが、バレーコードでいいのかも怪しい。