大船から北鎌倉


 朝、4時半に目が覚め、水を飲み、トイレに行き、もうすぐには眠れない。枕元のスタンドのスイッチを入れて、本の続きを読む。7時過ぎから再び眠るが、一時間のあいだに、内容はもう忘れてしまったがあまり気分の良くない夢を見て、心臓がどきどきしながら起きる。汗をかいている。
 日曜美術館正倉院展の特集を見て、正倉院展に行ってみたくなる。正倉院にある楽器と楽譜で当時、聖武天皇のころ、演奏されていた曲が、いまそれなりの再現確率で聴けるのはちょっと驚いた。意外にすがすがしい音楽だった。当時の人の方が、今よりもずっと自然や宇宙や不思議や神のようなものや精霊や死や生や性に対して思索を重ねたに違いないから、今よりもずっと音楽や文学やらは崇高だったのではないか。科学のへなちょこ知識はない方がよいこともあるに違いない。もう失われてしまって今となっては判らない考え方が存在していたに違いない。音楽はその片鱗を伝えているかもしれないな。科学の進歩と引き換えに、人間はどんどんいろんなことを失って、ある視点ではきっと退化している。だから当時の音楽を鑑賞する能力自体が欠けているかもしれない。
 なんて気軽に短時間だけ考えておしまい。よくないね。

 でも、やっぱりおしまいはおしまいで、カメラや財布や携帯電話やスイカカードを持って出かける。藤沢で余白やさんと合流し、彼がスケジュール帳を購入したのち、近くのGALLERY CNで開催中の内田望展「いのちのかたち」にふらりと立ち寄る。鉄で作った龍やクジラ、SFアニメに出て来そうな想像生物。わくわくする。新しいポケモンが登場して、子供がわっと喜んだりびっくりしたりするのと同じ楽しさだと思う。

 それから大船に一駅だけ電車に乗って移動して、大船駅から元松竹撮影所のあたりを超えて、大船警察の前を通り、踏切を渡って左折して、北鎌倉まで散歩した。途中、侘助で珈琲を飲みながら、ジャズの話やらほかのなにかの話をした。ほかのなにかがなになのか?あれ?よく覚えてないけど、やくざの話とかブルースシンガーの話とかもろもろ。

 北鎌倉から浄智寺の方まで歩いて北鎌倉に戻ってきて余白やさんと別れた。葉が落ちた木の影がめりはりを作っている。
今日は入らなかった喫茶ミンカの入り口のガラスボックスの中には、本の目次のような体裁で「メニュー」が書かれていた。それを読むと、おいしい珈琲(一八)、からだにやさしいお茶(三七)、素朴な食事(六二)とか書いてある。そこにも木の影が落ちてめりはりを作っている(下の写真だけど書いてある字まではこの解像度では見えないだろうか?)
 北鎌倉は人気の小説シリーズ、ビブリア古書堂の事件手帳の舞台であるから、相も変わらずそういうときには「もし映画化したら栞子さんは誰が演ずるべきか?」などという会話をした。誰の名前が出たかは内緒。