東京タワーからのサッカー観戦 昨日の須田×瀬戸対談報告つづき


 たぶん18年ぶりに東京タワーに上った。ベルマーレ平塚(当時)がセレッソに買って元日に天皇杯で優勝した大会の準決勝のベルマーレ対ガンバ戦を見たあとに、まだ小さかった息子と行って以来じゃないだろうか。あのときは磯貝からボールを奪った岩本輝雄がラストパスを出して、最後は誰が決めたんだっけか?アウミーだったかベットだったか。全然違うかな。テレビを付けると、今年のニュース総集編なんて番組がそろそろ年末ゆえに始まっていて、オリンピックの映像が流れている。ほんの四か月だったか五か月だったか前にあれほど寝不足になりながらしょっちゅう見ていたのに、たとえば女子サッカーの決勝で負けた試合のゴールの流れなんかまったく覚えていないし、男子のメドレーリレーが何位になったのかももう忘れていた。しかし、その夏の日に、まだ結果が判らない状況でリアルタイムで観戦しているときの熱中と歓喜に比べて、もうメダルを取ったことを知っている試合のダイジェスト版は、テレビ局の方も「盛り上がるように」編集できることもあるのだろうが、すでに過去のノスタルジーをまとっていることもあって、熱中と歓喜ということではなくて、もっと感傷なのだった。目が潤んじゃったりするんだからどうしようもない。四か月くらい前のサッカーのボールがどう動いたかは全く覚えていないのに、1994-95年だったかの天皇杯の準決勝のボールの動きはなんとなく覚えているのだから、これはやはり年齢的に具体的な瞬間のことのリアルな記憶力の差なのだろうが、でもさっさと具体性を除去してもっと漠然とそのときを覆っていた「雰囲気」みたいなことを覚えているだけの方がいいこともあるんじゃないか?
 と、話がずいぶん脱線しましたが、東京タワーに行ってみた。ふと思いついて、家族の某と行ってきた。日が暮れてだんだん夜になる時間をずっと都会を眺めて過ごした。サッカーの試合をやっているグラウンドが見下ろせる。じっと見ているとボールの動きがわかる。赤いユニフォームのチームFWが抜け出してキーパーと1:1になるのがわかるのだった。

 土曜日の須田×瀬戸対談からもう一つ、須田さんの、何故撮るか?の話。
「自分がどうしてそこに惹かれるのか?それがミステリアスで興味がある。そのことがテーマと言えばテーマ。最近撮った自分の写真に、秋葉原のガード下にガンダムみたいなものの大きなポスターがあるのだが、それが落書きされてよれよれになっていて、そのまえに雑草が生えているところ(の写真)がある。そこが何かの入り口に思える。要するに妄想なんだけど、そこから違うところに行ける気がする。マネキンでもポスターでも不思議で変だなと思わせるところに行っちゃう。その興味は自分の中から失くしたくない」
 こんな発言も。
「自分が撮っているところの夢を見たことがある。あんなところを撮ってるんだ、みたいな。けっこう、さびしいものでした」 
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