平凡


 何曜日だったかな、六時半の閉院ぎりぎりにいつもの病院に駆け込み、あと三日分しか残っていなかった持病の薬を処方してもらう。血圧を測り聴診器で心音を聞いてもらう。いつものひと月分ではなくふた月分の処方をお願いし、あっさりとそれを許可してもらいほっとする。病院に着いたときにももう外はすっかり暗かったとは思うのだが、それなのに、近くの薬局で薬を受け取ってから外に出ると、夜になっていることにあらためて驚くのだった。それから決心があったかのように歩き始めるが、こういう経緯のすべてが平凡な一日だと思ったりもする。鳥居と赤いポストにカメラを向けシャッターを切ったが、暗闇から誰かの影が現れて、瞬間にカメラを隠すようにしてしまう。夜に写真を撮り歩いていると、なんだろう、昼間よりずっと何かを拾い集めている感じがする。鉱石の標本箱に並べるような場面を。そして、その「拾い集める」行為が秘密めいていて、誰かに見つかってはいけないという、そういう後ろめたさがゼロではないのだろう。

 15日の夜には、茅ヶ崎駅TSUTAYAに行く。一週間ほど前に昼食を食べるためにはいったマッチポイントという店(夜はバー)で牛の絵だったか写真だったかのポスターが貼ってあって、そこからの連想でピンクフロイド(ロックバンド)に牛のジャケットのアルバムがあったことなどを思い出す。ピンクフロイドはプリズムの写真のや、男と男が握手しているのや、ジャケットを覚えているアルバムは何枚もあるのに、ほとんどちゃんと聞いていないな。なんて思ったので、15日の夜にピンクフロイドを借りようと思ってTSUTAYAに入ったが、牛のジャケットの「原子心母」は見つからなくて、プリズムのと握手のはあったけれど、牛がないから借りるのをやめた。そうして結局は、ボブ・ディランザ・バンドの「地下室」と「偉大なる復活」と、学生時代によく聴いていたディランの「珈琲もう一杯」って曲の入っているバイオリンが印象に強かったアルバムと、新しいものも聞いてみようと思い(すでに若い人の感覚ではぜんぜん新しくないのか?)、なんちゃらヴァンパイアとアニマル・コレクティブのまだ聞いてないのを借りてみる。ディランはそんなに好きではなかったから、ザ・バンドは大好きだったか、「地下室」は、当時『ビックピンクが出る前の貴重なテープが発見されLPになった!』などと音楽雑誌がぎゃあぎゃあ取り上げては絶賛していたけれども買わなかった。
 16日の朝の朝日新聞の別刷り版で、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」にまつわる話が特集されていて、何年もディランなんか聴いてないのに、CDを借りた翌朝になんたる偶然!と思って読んでみた。やっぱりこやつは偏屈な変わり者で、朝日新聞からインタビューを受けたピート・シガーはじめ何人かの人の話から推測するに「好かれてはいない」ようで、まあだからこそのディランなのだろう。本人へのインタビューは断られたのだろうか、記事には本人の弁もしくは弁明は載っていないのだった。
 夜になってYOUTUBEでディランの歌うところをちょっとだけ見た(いつのまにかAKBのユーキャンとかカップヌードルのCMをぼんやりと見るほうに移ってしまったが・・・)。キース・ジャレットも取り上げている「マイ・バック・ペイジズ」をクラプトンやら大勢の大御所と一緒に演奏している動画はいつのものなのかな?最後にディラン自身が歌うのだが、そうすると、突然すべてがディランそのものになるのだから、好き嫌いはともかくすごいパワーだった。