本好きの証明


 実家へ行って古いアルバムを見てきた。ニセアカシア展で展示した写真で、撮られた場所や年を特定できたものもあった。紙でできたアルバムに写真セメンダインで写真を貼って、そこに万年筆でS39.4.などのメモが書かれている。どこの家でもそういうアルバムがあった。アルバムの新しいページにどういうレイアウトで何枚の写真を貼って行くかはもちろんみんな勝手に決めていたわけで、些細なことだけど、日常のなかに自由裁量が多くていまより勝手気ままだったかもしれない。お手本とかルールとか流行に即さないと馬鹿にされたり、ちょっとディープに熱中するとおたくと揶揄されたりはしなかったかもしれない。それとも「きれいなアルバムページの作り方」なんて教則本がちゃんとあったのだろうか?そしてカリスマアルバム作成家って肩書きの人がいたのだろうか?

 アルバムの中に昭和38年か39年に私が本を読んでいるところの写真があった。これを撮られたときに読書に熱中していて写真を撮られるまで後ろにカメラを持った父(?)が「迫ってきている」ことに全く気が付かなかった、ということを今でも覚えているのだ。

 先日、IZU PHOTO MUSEUMのあるクレマチスガーデン内のNOHARAというショップ(野口里佳の写真集「太陽」なんかを出版したりもしている?)でふと手にした鈴木康広という現代芸術家の本(作品の設計図やコンセプトや展示方法やらを文章とスケッチと写真などで紹介している形の「作品集」)をめくってみたら面白くて、ちょっと高かったけれど買ってしまった。現代芸術の流れとか目的とか分類なんて全くもっと無知で、なにの知識もないけれど、藝術の表現っていうことの目的は、あるべき姿(=自然)をいろんな切り口で見るときのさまざまな見方の、その多視点のバランスを変更して再提示することで、いままであまり気づいていないことを露わにして、そこから感情の高揚や思索の導入を引き出すっていうようなことなのだろうか?うわっ!あまりに稚拙な分析?

まばたきとはばたき

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