つつじのころ


 駒込へ、ニセアカシア伊藤さんが参加しているグループ展を見に行く。ギャラリーは六義園の近くにある。1987年ころだから私が30才のころ、会社を定年退職した尾久在住のS木さんという大先輩が、
「おれは東京から出たことはない、京都なんか行きたいとも思わない、六義園があればそれで十分だ」
と言っていた。S木さんは戦時中もずっと下町にいて、空襲のときにも庭にためておいた水で火消しに回って、だから家は燃えずに済んだんだ、というような話もしたし、江戸のころからずっとこの地面の下には仏さんだらけなんだ、という意味のことも言っていた。そうして一人でどんどん飲み続けて、私やN君やT君を尾久だったのかな?それともどこかの地下鉄の駅だったかもしれないが、最寄駅まで送ってくれるのだが、自転車でふらふらと酩酊運転で街路樹に衝突してひっくり返るから、送ってもらうどころではなかった。1987年に60才だったから、いまご存命なら96才になる。もうとっくに賀状のやりとりすらなくなってしまっているから、何もわからない。
 S木さん大推薦の六義園にはじめて立ち寄った。入口で旧古河庭園入場セット券もあることを知り、駒込に来る機会もあまりないだろうからと思い、それを購入した。六義園は新緑が輝いていて、気持ちが良い。つづじロードという案内に沿って歩いてみる。つつじは満開までもう少しという感じだった。首から双眼鏡を下げたご年配の方がたくさん。バードウォッチングも楽しいだろうな。
 六義園から旧古河庭園までのあいだには古い商店がぽつぽつ残っている。マルジューベーカリーは「日本で初めてドライイーストによる製パン法を開発した丸十パンの始祖、田辺翁の門弟の一店」だそう。サラダパンを買ってみる。旧古河庭園のバラはまだつぼみ。須田塾のK島さんがここのバラ祭ライトアップのときに撮った摩訶不思議な写真を思い出す。
 上中里商店街と案内板にあった通りは商店街とは思えないほど閑散。もっと駅に近づけばにぎやかになるのかな?途中で田端方面に折れる。私は東北新幹線に乗る機会が多い。昨年の初夏で二階建て車両が走らなくなったので(いまは上越新幹線のみに走行中らしい)車窓写真を撮らなくなった。二階席でないと、防音壁にさえぎられてあまり景色が見えないから。車窓写真をたくさん撮った東北新幹線宇都宮線京浜東北線の線路が北に延びるのに対して、山手線だけが弧を描いて逃げていく、その二つの線路が作る鋭角の角の部分とか、車窓から何度も見ては、あの角の家に住んでいるのはどんな気持ちなのかな?と思ったものだ。地図を見ると、どうやらそのあたりに出るようなので、こっちから東北新幹線を見たらどんなかな?と期待した。ま、実際に新幹線の見えるフェンスのところに出てみたら、あたりまえに新幹線が高架をそれ以外の電車が崖下を走っていくのが見えただけだったが。
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?p=%E7%94%B0%E7%AB%AF%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1&lat=35.7413553&lon=139.7556261&ei=utf-8&datum=wgs&lnm=%E5%8C%97%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E7%94%B0%E7%AB%AF%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1&idx=5&v=2&sc=3&uid=afcf994f4b99a11897627702984accbb544ca347&fa=ids(この田端中のあたりです)
でもこの地図にある先端の先端までは行けなかった。そうか、あの橋を渡る手前を入るのだったのか・・・

 田端には明治大正のころに文士村と言われるように大勢の文化人が住んでいたそうで、田端駅近くにその資料館があった。以前どこかの古本屋で買った久保田万太郎の随筆集(そうだ、いまはない荻窪のカフェ「ひなぎく」の中にあった海月書房で買ったのだ、きっと)に関東大震災のことが書かれていて、そのなかに上中里とか田端や日暮里あたりがたくさん出てきたのを思い出した。文士村の展示資料のなかにも久保田万太郎のものがあった。ただ、久保田万太郎は日暮里に住んでいたらしく田端文士村の範囲には入らないらしい。今朝まで読んでいた井伏鱒二の「乗合自動車」という短編集(昭和27年発刊のものを鎌倉の古書店で買ったもの)に林芙美子との交流のことがちょっとだけ出てくる。林が実際とは異なることを実名で書いてしまうので井伏が閉口している様子がわかる。その林芙美子も一時期住んでいたとか。野上弥生子は100才まで生きたんですね。室生犀星の「杏っ子」の本も飾られていた。読んだことがないが、すでに結婚して退職した私の勤める会社で働いていた女性が、杏という字が使われた名前で(杏子だったかな?)、その名前の由来を聞いたら、(その子の)お父さんが室生犀星が好きだったから、杏という字を使っのだ、という答えだった。芥川龍之介が亡くなるまで住んでいたという旧居跡地まで行ってみる。ただあたりまえのアパートがあるだけだった。

 田端からJRで一駅だけ西日暮里へ、そこから地下鉄で根津へ。根津からカフェ谷中ボッサまで行き、白石ちえこさんの写真展を見るのが主目的だったが、人の流れに乗って、ふらふらと根津神社に行ったりで遠回りや道草の連続。青空一箱古本市で昨年話題になっていた萩尾望都著「なのはな」を買う。漫画は、読むこともほとんどないし、買うことなどもっとないのだが、私が「なのはな」を買ったので漫画好きと思われたらしく、ほかの漫画の本をいろいろと勧められたが、著者の名前すらわからない。

 谷中ボッサの白石ちえこ写真展「ペンギン島の夏」は古典的な写真手法を使った作品を展示。鶏卵紙や、雑巾がけという日本独自の手法を再現している。すると写真が鑑賞者の脳に語りかけることががらりと変わってくる。自分の記憶に残っていることって映像の雰囲気はあっても、実際にその映像を一枚の写真のように「思い浮かべる」こととかその思い浮かんでいる映像を絵にすることとかは(少なくとも私は)できないから、映像記憶がそこにあるようにみせかけた、実際にはただ「記憶」としかいいようのない漠然としたなにかなのだ。にもかかわらず実際に提示されたある種の写真、モノクロームだったりセピアだったりぼんやりしていたり、そういう明瞭でないことを特徴とする写真が、記憶に近いと感じるのも不思議なものだ。実(じつ)がないのに実に似ていると思うということなのだ。
 実がないのに、写真を見れば、実たるものを(少なくとも視覚だけだが)思い出すことができる、あるいは思い出すではないにしても理解して納得出来るというのもまた不思議だ。
 それとも、理解して納得しなければいけないのだ、なにしろ写真なのだから、みたいな一種の脅迫的概念があるのだろうか?

 谷中ボッサをあとにしてまたふらふらと谷中銀座あたりを辿り、西日暮里駅まで歩く。それでもうかなり疲れてしまい、今日は電車を乗り継いでどこにも寄らずに帰宅した。

 上の写真は根津神社境内のイベントです。

なのはな (フラワーコミックススペシャル)

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