夜の薔薇園


会社帰りに、電車の中でネクタイを外してしまう。暑い。少し蒸し暑い。夏の気配を感じる。暮れて行く街を、桜木町駅から、歩き始める。野毛の街には金曜日のサラリーマンが、それぞれの行きつけの居酒屋に向かって、数人のグループになって笑いながら歩いて行く。中には、もう早くも満席の店もあるようだ。私は、もう30年以上も、彼等と同じくサラリーマンをしているのに、そういう時間の過ごし方は苦手だ。特に最近は、ほとんどのアルコールを飲まないから、いや、飲めないから、誘われても行かない。行かないでいると、誘われなくなるから、楽になった。そのくせ、傍観者としてこういう街を歩いていると、そういう時間の過ごし方に憧れるような気持ちもなくはない。野毛の街をななめに横断し、大岡川を都橋で渡り、伊勢佐木町へ。人通りは奥に進むほど減っていく。青江美奈の伊勢佐木町ブルースの歌碑の前を通り過ぎてから左折して横浜橋商店街のアーケードを抜ける。ほとんどの店が店じまい間近で最後の値引き販売をしている。もうすっかり夜になった。
 そのまま三吉演芸場を過ぎて進んでいくと、住宅街となり、急坂を上がってから尾根沿いのくねくね道を歩くと、途中の唐木公園からは、ランドマークタワーをはじめとする横浜の夜景が見渡せた。夏草が茂った空地の向こうに崖の突先に並んでいる住宅の列が見える。窓明かりはいつでも人恋しい。誰もいない真っ暗な公園に、私とすれ違うように小柄な制服姿の、デイバックをしょった女子高生が入っていく。一人で危なっかしいと思って見ていると、携帯を取り出して、夜景の写真を撮っていた。
 尾根の道は思いのほかに長く続く。教会や歴史的建造物になっている洋館などの回りも誰もいない。ライトアップされた教会の塔の先に満月。港の見える丘公園のローズガーデンで薔薇の花を見る。夜の薔薇は妖艶のようで静謐のようで。ここにも誰もいないのだった。約3時間の散歩だった。