仮説


 一昨日のブログに『同じ写真を見ていても個によってそれがどう見られるかはすべて違っていて、その違いの「広がり」をそれでもできるだけ狭くすることを標ぼうするか、それともできるだけ広くすることを標ぼうするか』と書いた。
 人の目で見たままの感じが写る画角が28mm〜55mmくらいの焦点距離だとすると、写真が「ただそこにある光景」を見る者に提示するという、すなわち「広く」見られる(多様な解釈を促し写真自体は主張しない)前提に近いように感じる。一方、そういう標準画角からより広角やずっと望遠の焦点距離を使って「レンズ効果」で作画をするというのは、こう見せたいとかこう感じてほしいとかいう前提に基づいてあえてそういう焦点距離を選択するという行為から証明されるように、こう見て欲しいという意図が明白な「狭く」見て欲しい写真が出来る可能性が高いかもしれない。
 こんなことを「ふーむ、なるほど」とか考えながら過ごしている猛暑の日々だったりしています。

 テレビを見ていると、今年の真夏は2010年並の猛暑になるかもしれない、と言っていた。私の場合、ここのところの真夏は自分が小学生だったころの真夏に比べるとずっと暑いのではないか!小学生のころの夏休みに付けていた日記帳の温度欄には「29℃〜31℃、たまにとても暑い日が32℃」といった数字が並んでいたと思うし、付け忘れてしまった気温を夏休みの最後に書くときには、そのあたりの分布を基準にテキトーに書いていた。だから、このところの35℃を平気で超える暑さは、とてつもなく異常だと感じてしまう。
 しかし、2010年並と言われると、自分の夏の記憶がまったくへたれで、ほんのここ数年のあいだの夏の特徴も覚えていない。2010年は猛暑だった?じゃあ2011年は?昨年って今年みたいには暑くなかったっけか?たかだか57回目の夏であって、どんな夏だったかを覚えようと思えばできないことではないが数字的に覚えていてもそんなことはまるで意味がないってことだろう。それより15才の夏とか、20才の夏とか、33才の夏とか、そういう風に考えると、私的なエピソードが出てくることがたくさんあるだろう。そういうのを大事にしましょう。