鎌鼬


 昨日、12/14土曜日のこと。
 新宿御苑を歩いたあとに、Gallery PLACE M2で伊藤将太写真展「ピール・アパート」を見に行った。A1の倍くらい、というのがB1だったのかB0だったのか、その場でご本人に教えてもらったのにもかかわらず、もう忘れてしまったのだが、とにかく大きなプリントを8枚、どかんどかんと展示してある。こういう展示は何かを読み取ろうとするのに、いやなに、そもそも、読み取ろうという行為がどうなのよ、という疑問もあるのだが、とりあえずのところ、なにかを読み取ろうとするのには判りやすくていい。いやなに、わかりやすいことがいいということも、どうなのよ、ということがまたぞろ発生するのでキリがないが。言い換えると潔くてストレートで、読み取るったって、結局のところは見るこちら側(というのは私自身です)の自分勝手な解釈が立てやすいということだから、とある感情が立ち上がらされる。不安定なブルーな写真の「写真」のところを感情に置き換えると、不安定でブルーな感情からはじまり、ついで赤ん坊の生々しくてらいない崇高が突き付けられるのは、青臭い感情なんかをやすやすと無視して進む、生きることの否応の無い力に戸惑いながらも臨んでいるようだ。というふうに、どちらかと言えば個人的と思える戸惑いや不安や諦観やらの感情と、それをやすやすと巻き込んでいるもっと大きな力が行ったり来たり登場し、一周回るとまた最初に戻るような不思議な渦巻きのような写真展だった。とかなんとか、こんな文章を書くことになるための「読み取ろうとする」行為なのだとすると、そういうテキスト化の前段のなにかの方がもっと重要なのだろう。
 そののち、国立へ移動。ゆりの木ギャラリーで茅ヶ崎在住の古知屋恵子木版画展を見る。茅ヶ崎での開催期間を失念してしまっていたのです。そこで国立まで行ってくる。変わらずウィットと暖かさと、ときにちょっとビターな、人の暮らしの一コマが描かれている。一方で、せんそうかるた、や、げんぱつかるた、という社会の矛盾やらを告発するシリーズも。
 ギャラリー二階に出来たばかりのカフェ「ケルティック・ムーン」はオープンしたばかりの店だった。ブラック珈琲を飲む。堀江敏幸のエッセイ集でサインカーヴのことが書かれているのを読む。国立という町は初めて歩いた。喫茶店がやたらめったら沢山あるのは、学生の町だからでしょうか。
 上記の古知屋さんが参加しているという俳句の会の会誌をめくるとイタチ(鼬)という単語が使われた句が、多くの人に指示を受けていることが書かれているページがあった。そのあと西荻窪で途中下車をして少しぶらぶらしてから帰ったのだが、そういえば小学生のころに鎌鼬(カマイタチ)という現象を皆が恐れていたな、ということを思い出した。本日時点のウィキペディアによると
鎌鼬かまいたち)は、日本の甲信越地方に多く伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現れ、鎌のような両手の爪で人に切りつける。鋭い傷を受けるが、痛みはない。』とあるほか「各地の伝承」としては『人を切る魔風は、中部・近畿地方やその他の地方にも伝えられる。特に雪国地方にこの言い伝えが多く、旋風そのものを「かまいたち」と呼ぶ地方もある。寒風の吹く折などに、転んで足に切り傷のような傷を受けるものをこの怪とする。』からはじまって詳細な記述があった。
 さて、私が小学生だったのは昭和38年から44年くらいのあいだですが、平塚のその小学校での男子のあいだの都市伝説的な鎌鼬は、実際に起きうる物理現象(自然現象)として、吹いてくる風の中に真空の領域が出来ることがあって、そこが人の身体に触れるとナイフで切ったように傷がつく、傷というのはパッと皮膚が割れて血が噴き出すのだ、というものだった。すなわちそこには悪意とか遺恨とか、あるいは妖怪とか、そういう具体的な物語としての根拠はなくて、誰でも偶然に鎌鼬によってけがをする可能性を平等に有してしまっている、というものだったのだ。
 それだけのことです。

 昨日は新宿タワレコカーラ・ブレイのTriosというCDを買った。

Trios

Trios