プロペラ・プロペラ


 22日のこのブログに書いただらだらとした文章の最後に、吉川忠英のプロペラ・プロペラという曲にたどり着いた。この曲の入ったアルバム「イリュージョン」が「かもめのジョナサン」を書いたバックリチャード・バックの「イリュージョン」となにか関係があったのだろうか。「かもめのジョナサン」は、いまちょっと調べてみたら日本では1974年に五木寛之訳で出版されている。当時高校生だった私は、早速、平塚市のさくら書店でこの本を買って読んだ。私が買ったあとに一時品切れになっていたのではなかったかな。流行の本をいち早く読んだぞ、という、そのときの(今思うと実に)情けない優越感や、買った時の平塚さくら書店の店内の様子が白く明るかったことや、本の表紙のブルーがきれいだったことや、そういう「かもめのジョナサン」にまつわる私的な記憶が漠然としたかたまりになってあるのに、肝心の本の中身はなにも覚えていない。ものすごく評判になっているものを期待とともに読んだり見たり聞いたりしたけど、本音のところでは「?」となったときの、複雑な感想だったのではないか。
 そのあとに出たバック著の「イリュージョン」の方は、これまた読み返してないので中身はなにひとつ覚えていないが、ただこの本はすごく好きだった。いまは手元にないと思うけれども。
かもめのジョナサン」や「イリュージョン」をいま読むとどんな感想なのだろう?冬休みに読んでみようかな。

 で、アルバム「イリュージョン」に入っている「プロペラ・プロペラ」(作詞;藤公之助)では、草原に寝転んで青空をながめていた主人公の視界にプロペラ複葉機が入ってくる。それを機に、彼は、「空が海に見えて、宙返り飛行(車輪を上にして飛行する)複葉機は海に浮かんでいるようだ」と思う。そして「青く高い海が(空ではなく海が)ぼくを旅へと誘う」と感じる。そのたびは「果てしない旅」だと。

 なるほど若いときに聴くと、心がざわついたわけです。センチです。

 この歌詞の影響があったのだろうか、学生時代のある日、グライダー部の友人に、飛行機がひっくり返って(車輪を上にして)飛行するとき、旋回中であればまだ遠心力が働くだろうが、ひっくり返ってずっと進むときは、どうして操縦士は落っこちないのか?」と聞いたことがあった。友人は「ちゃんと身体を固定して落ちないようにしているだけ」と答えてくれた。

 でもって写真は京都の「マダム香蘭」という中華やで食べた「上品な八宝菜」。本当に「上品な」が名前に付いているのです。京都の中華は京都独自の味の進化があるらしく、さっぱりとしていて美味しいのだった。こんな本もあるくらいですから。読んでないけど。

京都の中華

京都の中華