二宮 真鶴 三島


 青春18きっぷがあと一回分残っていることを思い出して、11時過ぎの東海道線下り電車に一人で乗る。途中、二宮と真鶴で途中下車し、最後は三島大社に行ってから、帰って来た。真鶴の街は、リトル長崎もしくはリトル尾道という感じで坂道がくねくねと山の斜面に迷路のようにあり、そこを迷子の気分半分で、あとはのんびりと風任せのような気分半分で、ときどきつぶやくような独り言を言いながら歩いた。

 電車の中ではこのブログの1/1の文章をスマホで書いていたから、ぜんぜん読書できなかったのが、ちと残念。

 三島大社で屋台のお好み焼きを一人で食べた。



一昨年の夏、真鶴貴舟祭で真鶴に来たときに迷いこんだ路地に古めかしい、昭和初期か大正の頃のかもしれない、記憶が正しければ医院の建物があった。多分、この蜜柑の実が落ちている空地は、その家があったところだと思う。まだ取り壊されたばかりのようだった。この蜜柑の木は、もしかしたらここに住んで来た数世代の方にとって、いろんなエピソードに関係してある大事な思い出の木かもしれない。木にとっては季節に応じて、実を生らせているだけで、家がどうなろうが、関係のないことだろうが、私のような行きずりの立場でも、路地を曲がってこの蜜柑の木を見つけた時にはハッとしてしまう。庭だったろう場所に、一本だけ残された蜜柑の木に実が生っている。その哀しさよ。あるいは、家族の歴史が、なんとも大事なことよ。