小津生誕110年


15日土曜日、鎌倉文学館小津安二郎の企画展を見てくる。
小津日記と呼ばれているそうだ、小さな手帳に、小さな小さな字で、ほんの数行のメモ書きが残されている。その日記がそれぞれの映画作品に関係のあるページを開いて、映画の紹介とともに展示してあり、解説プレートには日記のうち肝心のところの文章が印刷転記されているから、日記手帳をのものを読まなくても、そっちを読めばよい訳なのだが、しかしそこにオリジナルがあるからには、印刷された文章のオリジナルのところと「照合」してしまう。そして、さらには、開いてあるそのページの印刷されていない他の日に何が書いてあるのかも知りたくなるのだった。しかし、私の元々の近視+乱視に老眼が加わった状況では、メガネを外して、ぐぐぐっと顔をケースに近づけたり、あるいはまたメガネを掛けて、目を細めてなんとか読み取ろうとしてみたり、いろいろと試みても、どれもすんなりと字の判読が出来ないのだ。若い頃はこんなことはなかったから、気が付かなかっただけで、こうなると不便なもので、もっと明るくして欲しい。もしくは、虫眼鏡を手帳にかざすように置くでもいいし。
 それでもがんばって読んでみる。天気がどうで、誰が訪ねて来て、どこに出かけて、何を食べた。そんなことが続いている。ときどき何月何日のところではなく日付で区切られていない「欄外」にも記載があって、世間では原節子と私が結婚するのではないかという噂が流れている(といった意味のこと)、なんてことが書いてあるが、どこ吹く風だったのか、それで「困った」とか「嬉しい」とか「騒がしい」等の感想は全く書かれていないのだった。
 小津独特の低い位置からの撮影のために特注の低い三脚があって、赤く塗られたそれは「カニ」と呼ばれていたそうだ。その「カニ」も展示されていた。
 そういえばセーターも赤で、小津は赤が好きだったとも書いてあった。

 今日の土曜はちょっと暖かい。明日はもっと暖かくなるそうだ。七里ヶ浜の駐車場に行ってみたが、砂浜で遊び人はまだほとんどいない。波がいいのか、サーファーは大勢出ている。

 由比ヶ浜通りを歩いているとモデラート・コーヒー・ロースターという(?でもその名前で検索しても出てこないから私が店名を間違って覚えているのかもしれない)焙煎およびカフェの店を見つける。あとから来た客が「いつできたの?」と聞いているのに聞き耳を立てたというより、ただ聞こえてきたのだ、2月にオープンしたばかりだそうだ。すごくシンプルでさわやかな店。マンデリンを飲みながら、ここ一週間くらいずっと読んでいてまだまだ読み終わらない保坂和志著「未明の闘争」を読み進む。小説のなかで主人公は妻にだまって女性と旅行に行っているところだ。彼らは甲府から身延線に乗り換えて行く。私の知らない駅名がたくさん出てくる。市川大門駅とか落居駅とか。

 座ったカウンター席は目の前がきれいに磨かれた大きなガラスで、すぐ向こうは由比ヶ浜通りで、行きかう観光客がよく見える。すなわち向こうからもこっちがよく見えるのだな。

 昨日の金曜に食べ過ぎた中華料理が腹にもたれていて、朝、苦しくて目が覚めた。朝はちょっとしか食べなかった。昼もほとんど食べないままに4時ころになっていて、鎌倉駅に着いたころにやっと少しなにか食べたくなった。そこで、いつも行く、江ノ電鎌倉駅の線路に貼りついたようなカフェ・ロンディーノに行き、ポテトサラダトーストを頼み、うーんどうしよう!と一瞬迷ったすえに、さっき珈琲を飲んだばかりなのにまたぞろホットコーヒーを頼んでしまうのだった。
 会社で会議が立て続けにあるときなどに、気が付くと一日に四回か五回珈琲を飲んでいるときもなくはないが。
 カフェ・ロンディーノでカウンターに座っていると、目の前で店主がてきぱきと珈琲をいれている。サイフォンで。コーヒーサイフォンってどういう原理なのか、誰も教えてくれないし、調べてみるほどのこともないし、じっと観察していてもよく判らない。なんか気圧が関係ありますかね?
 コーヒーサイフォンが歌詞に出てくる歌がむかしあったような。古井戸(フォークグループ)の曲かな?
 と書いて、いまYOUTUBEで古井戸の「コーヒーサイフォン」を聞いてしまった。検索すると古井戸の曲なんかより、コーヒーサイフォンの原理を説明しているサイトが沢山あるようだった。だけどなあ、上に原理を知らないなんて書いたから依怙地になって、そういうページは見ないのだ。

未明の闘争

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ぽえじー

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