年末の京都へ


二泊三日で京都へ。7時過ぎに小田原を出たひかりは9時過ぎに京都に着いた。京都駅伊勢丹の屋上展望台へ登る。快晴とは言えないが、ぼんやりとは晴れている。駅の方を見下ろすと、奈良線の101系電車が止まっていたり、近鉄が頻繁に駅に出入りしている。高いところから電車や自動車、通行人が動いたり歩いたりしているのを眺めていると、一瞬であってもあの喧騒の社会から抜け出た感じがする。いや、抜け出ているとはあまり思わないものの、屋上や、あるいはどこかの展望タワーから眺めたあとに、帰るとき、あるいは、降りるときに(社会とか日常とか暮らしに)「戻っていく」と感じる。では、戻るのが嫌なのか、と問われれば、決してそうではない。もしかしたら刺激はなくてありきたりでつまらないところへ戻る、けれど自分の居場所が多かれ少なかれあって、安心は得ることが(大抵は)補償されている。(もちろん視点を変えればなにも補償なんかされていない危なっかしいあやふやな社会じゃないか!とも言えるが、ここではそういう論点ではない)
私はいつも住んでいる茅ヶ崎にいるわけではなく、あるいは(この単語も曖昧で目くじらを立てればいくらでも突っ込みどころがあるのはわかっているが、ま、そう言わず。一般的なニュアンスとしての)暮らしや日常がある関東圏から京都まで来ている。それなのに屋上ゆえに一瞬抜け出している感じがして、あの大階段から降りてしまえば茅ヶ崎ではなく旅先の京都であるのに、そういう「日常に戻る」感じはやはりする。
  一つは高いところに立って見下ろすとなぜ抜け出す感じがするのか?ってことだが、もう一つは、これがどこか知らない国や、あるいは国内であってもどこか初めての場所であれば、そうは感じないのか?ってことのようだ。
 なに、このブログを書きはじめる前に、何をどう書くか大まかであれ何か設計図めいたものがあることはほとんどない。ただ京都に着いて、最初に屋上に上がったから、そこから書き始めたのだ。そうしたら、こんな二つのクエスチョンに行き着いた。
映画を見ていて、物語の章の大きな切れ目のような転換のときに、物語の進んでいく場所や時間が大きく変わることがよくある。場所と言うのは、国が変わったり、同じ国内でも都市が変わったり。昭和40年代あたりの例えば若大将シリーズでは、この場所の大転換が起きると(これはなんとなくの印象で検証したわけではないが、)新しい舞台となる都市が俯瞰で撮られたり、あるいは有名観光地が短く繋げられてその場所のテロップまで入ったものだ。それは新しく物語が展開するための始まりとして挿入されていて、同時に音楽が被さる。観光宣伝を兼ねているような感じもした。すなわち、昭和40年代の観衆がそういう「新しい場所」を観光に行くために探していて(ディスカバージャパンだ!)そういう要請にも映画が応えていたのかもしれない。そして映画として場面が転換した新しい都市の空港、あるいは駅から主人公が出てくるところが少し見上げるように撮られている場面に続く。降りていく場所がいつもの日常の場所か、旅先とは言えよく知っている街か、初めての国の初めての街か、と言うところの差も必ずあるだろうが、その差は関係のない点として、高いところから見下ろすか見回すと、この映画の大転換場面のように、何かの期待感が産まれたり、何か前向きになる視点(それがありきたりのことであっても)の変更、不安な夜が期待の朝に変化したときのように、そういう変化が起きるきっかけになるのかもしれない。
 だから旅の最初に高いところからこれからそこを歩く街を見下ろすことは、なんというかな、旅のスタートとしての儀式としていいことなのではないか。映画がそれを証明していたのではないか。なんてね。

 27日。京都駅大階段→地下鉄で京都市役所前へ→ハイファイカフェ(シナモンと蜂蜜のトーストと珈琲)→三月書房→100000tアローントコ(オルガ・トカルチュク著「昼の家、夜の家」古書で購入)→河道屋本店(しっぽく蕎麦)→錦市場→ホテルチェックイン(四条×西洞院下る)→夕食は「さかえ庵」(店でTと合流)→食後一人でスナップして歩く→エレファント・ファクトリー・コーヒー→ホテルへ戻る