祖父のこと


いつだったか、特段写真が好きだとか趣味にしていることもない、私よりずっと若い人と写真の話になったときのこと。私が、どこだか忘れてしまったが、どこかの観光地でここに立って写真を撮りなさいと誘導する撮影ポイント足跡マークを見たことから、それを思い出して若い人に、誰もがみんな同じ写真を撮るくらいなら絵葉書買えば同じで撮る意味がない、と言うことを言ってみたことがあった。すると若い人はいとも簡単に、みんなが撮る写真を自分も撮った、と言う事実を作ることが観光の楽しみの一つですからね。だから足跡マークはいいですね!と答えてくれた。聞いてしまえば至極当たり前のことで、私がなんだか熱り立つように考えていたのがバカみたいだ。ストンと腑に落ちて納得出来た。

話は変わって、平日に北関東某市に単身赴任で行っているときにはテレビを全く見ない。金曜に茅ヶ崎の家に帰ると、一週間テレビを見ないと何か物珍しさのようなものが発生するのだろうか、だらだらと見続ける。金曜の夜は、そんなわけで新日本風土記と七人のコント侍あたりを見たり、ファミリーヒストリーを見ることが多い。
先週か先々週のファミリーヒストリーは細野 晴臣の回だった。二人の祖父のうち母方か父方か忘れてしまったが、どちらか一方の方はタイタニックからの日本人唯一の生還者だったそうだ。我先にと誰かを差し置いて救命ボートに乗ったと言う間違った汚名を着せられていたが、当時の詳細な記録から、そのようなことはなかったことが今では証明されている。
もう一人の祖父は芸大に調律課を作ったピアノ調律の先駆者の方だった。タイタニックからの生還者と調律師を祖父に持つベーシストが「風を集めて」や「終わりの季節」や「恋は桃色」を作った。う~ん、なんだか小川 洋子の書く小説みたいだな、と、そのときに小川 洋子の「最果てアーケード」を読んでいたからなのだが、そう思った。なんだかスゲエと思った。
私の父方の祖父は軍医で戦時中は東南アジアのどこかの戦場の前線基地にも行っていたそうだ。祖父は私が小学校の低学年のときに早くに(たしか65で)亡くなったのだが、亡くなる少し前に祖父が私に前線基地で夜になると近くの川からワニの立てる水音が聞こえたことと南十字星が見えたことを話してくれたことをギリギリ覚えている。
母方の祖父も医者で、長生きして89歳まで生きた。その母方の祖父が帝大生だった頃の夏に友達と徒歩旅行に行った思い出を話してくれたような気がする。どんな話だったのかちゃんと覚えていないのだが、祖父のことを思い出すと、未舗装で乾いて、風が吹く度に土埃が舞うような山道を白っぽいズボンと開襟シャツを、着た三人か四人の若者が逆光の中こちらに歩いてくる映像が浮かぶのだ。祖父の話を聞きながら子供だった私が思い描いた映像が記憶されたのかもしれない。