「アズミ・ハルコは行方不明」 が面白かった!


 今年の写真を見なおしていたら、ぴんぼけの自販機が写っている写真があった。失敗なわけだけど、なんか気になるからこうしてピックアップする。明確な意図がなく、撮影者の、撮影者自身も言葉で説明することが出来ない、嗜好に基づいて瞬間的に撮られ、それがものすごい駒数になっていくようなスナップ写真群には既存尺度の失敗とか成功とかは当てはめられなくて、一連の時間に沿った画像の集積がある、というただそれだけ。技術的なことを置いておけばピントがあっていようがなかろうが、その画像になにか感じれば「これなんかはいかがでしょう?」と写真の案内人(ってどこにいる誰だ?)がすすめてくる。

 この6月頃から読了に至った邦人作家の小説だけを取り出して列記すると
噂の女/奥田英朗 最果てアーケード/小川洋子 私と踊って/恩田陸 カフカ式練習帳/保坂和志 リカーシブル/米澤穂信 尋ね人の時間/新井満 ヴェクサシオン新井満 小さな男*静かな声/吉田篤弘 昼田とハッコウ/山崎ナオコーラ ジャイロスコープ伊坂幸太郎 さようなら、オレンジ岩城けい うつくしい人/西加奈子 ここは退屈迎えに来て山内マリコ 
で、新旧織り交ぜ、再読含め、種々雑多。出張の移動を意識して軽く読めればいいや、というような思いで駅ナカ本屋であわてて買ったものもあれば、ブックオフに売りに行くために本棚を整理していよいよ売りに行こうと言う前に再読したものもある。可もなく不可もなく、という読後感があれば、へえ面白かったなあ、というのがある。校正もままならないうえそんなにうまいとは思えない文章に辟易しつつも一気呵成の勢いに関心するものもあれば、丹精に構築された物語に魅せられることもある。新しい本なのにまるで60年代か70年代に書かれたような、それがなにに起因するか不明だが、とにかくそういう懐かしさが沸いたものもある。書かれている主人公の置かれた状況や心境に関心が沸かず、というのは俗に言う「感情移入」が出来ないってことなのか、うまく書かれているのだろうけれど関心が沸かないまま終わってしまったものもある。物語としては面白いけれど、だからなに?って思ってしまう得るところがないものもあるが、これはこれでエンタテイメントのあるべき姿なのかもしれないなとも思う。いずれ、相当にワクワクさせられたり興奮させられたり徹夜をしてでも読み終えたり、そういう本にはずっと出会わなかった感。ここに挙げなかった海外(翻訳)小説の方が荒唐無稽さがたまらなく面白かったり、登場人物に感情移入できたりすることが多かった気もするのだった。
 そして昨日10/30に読了したのが「アズミ・ハルコは行方不明/山内マリコ著/幻冬舎文庫」だった。本屋でふと手にして読んでみた同じ作家の「ここは退屈迎えに来て」がまぁまぁ面白かったので引き続き、表紙の写真にも惹かれたこともあり、買ってみたわけだった。これがどこがどうしてなのか?若かりし頃に村上春樹の鼠が出てくる三部作(風、ピンボール、羊)を本屋で見つけるや即購入して徹夜ででも読み終えていたようなワクワクする感じ、先を読み進めたい感じ、が蘇って来たのだった。先を読み進めたい原動力は謎解きやドラマなどにあるわけで、それだけを求めるならミステリー小説や大恋愛小説を選ぶ方がその力は強いが、そういう単純に原因が判る「先を読み進めさせる力」ではない別の魅力がある。自分の理解を越えていて、同時に自分の興味を惹くと言う微妙なところに物語をぶらさげて、ドッグレースの犬のように・・・って比喩もひどい感じがするが・・・読者がドッグレースの犬のようになってしまうような魅力とでも言いましょうか。
 だけどネット上のみんなの感想のような書き込みを読むと、主人公と同世代の若い人たちからは絶賛ばかりというわけでもないようで、この私の感想は、私のような「(おじさん+おじいさん)÷2」の男が、同時代にはいるものの、なんだかよく判らなくなってしまったスマホを核とした若者の社会を、半分聞きかじり、半分は周辺からの覗き見、のような感じでしか理解できない状況で読んだからゆえなのかな?とかあれこれ考えたりもしたけれど。
 とにかく私にとっては上の方に列記したどの小説よりも飛びぬけて面白かった「アズミ・ハルコは行方不明」だった。